2023年の記録的な猛暑に、地球温暖化を肌で感じた人も多いだろう。こうした気候変動を食い止めるために、今、社会は脱炭素への取り組みを強化している。その中で次世代エネルギーとして世界から注目を集めているのが「水素」だ。とはいえまだ「水素ってどんなもの?」という問いを持っている人も多い。2024年2月に開催された「サステナブル・ブランド国際会議2024東京・丸の内」のトークセッションに、日本における水素技術のリーディングカンパニーである川崎重工業(以下、川崎重工)の森中絵美さんと、コーヒー豆の水素焙煎に取り組むUCCジャパン(以下、UCC)の 中村知弘さんが登壇。「水素をつかう」をテーマに企業の水素活用について語り合った。そしてセッション終了後、改めて二人による対談を実施。「水素とその活用について」さらにじっくりと話を聞いた。(記者:笠井 美春)
次世代エネルギー、「水素」ってどんなもの
ーー川崎重工は、2010年とずいぶん早い段階から水素活用に取り組んできたそうですが、水素とはどんなものか教えていただけますか? なぜ、今、水素は次世代エネルギーとして注目されているのでしょうか?
森中さん: 水素(H)といえば水(H2O)を構成するおなじみの物質で、実は私たちにとても身近な存在です。その特徴は「地球上でもっとも軽い」「宇宙で最も豊富」「無色・無臭・無毒」。
水素が次世代のエネルギーとして注目を集めている理由は、これらの特徴に加えて「使う時にCO2を出さない」から。化石燃料のかわりに、「電気を取り出したり、燃料として燃やしたりできる」ので、カーボンニュートラル達成に欠かせない存在として注目されているんです。
ーーなるほど。だから「究極のクリーンエネルギー」と呼ばれているんですね。ちなみに、水素はどうやって作られるのでしょうか?
森中さん: 水素は目に見えませんが、水を代表とする化合物の形で地球上の至る所に存在していて、さまざまなものから取り出すことが可能です。電気分解して水から取り出したり、石油や天然ガスなどの化石燃料から製造したり。その他にも廃プラなどゴミからも作ることができるんです。さらに、電気と違って「たくさん貯めて、どこへでも運ぶ」ことができるので、安定供給できるエネルギーとして期待されています。
コーヒーが水素でおいしくなる?
ーー水素はどういった場面で使われるのでしょうか。使い道について教えてください。
森中さん: 水素は、未来のものと思われているかもしれませんが、実は、産業分野では原料として昔から広く活用されています。身近なところでは口紅やマーガリンなどにも水素が添加されているんですよ。最近では、脱炭素化の流れを受けて、エネルギーとしての利用が始まっていて、電気とお湯を作る家庭用燃料電池(エネファーム)、そして燃料電池自動車(トヨタ自動車株式会社「MIRAI」など)や燃料電池バスなども街を走り始めています。その他にも工場での発電や熱利用など、企業レベルで水素利用の検討が進んでいて、UCCさんも水素活用を推し進められているんですよね。
ーーUCCはコーヒー豆の焙煎に水素を利用しようとされているとか。どんな内容なのですか?
中村さん: コーヒー豆の焙煎過程では高温の熱風でコーヒー豆を焼くのですが、私たちはこの熱源に水素を使おうとしています。従来は天然ガスを原料とした熱風焙煎をしていたのですが、これを電気に切り替えようとすると、電気での焙煎はコントロールが難しい上に莫大な電力が必要で、どうしても熱量が足りないんです。そこで目を付けたのが「水素」。数年前から水素を原料に熱風を起こして焙煎する技術を開発し、すでに小型焙煎機での水素焙煎コーヒーも作り始めています。
ーーどうして水素焙煎に取り組むことになったのですか?
中村さん: 簡単に言えば「おいしいコーヒーが飲める未来を守るため」です。そもそもコーヒーは気候変動に影響を受けやすい作物で、このまま気候変動や温暖化が進んでいくとコーヒー豆の生産量が次第に減っていくと予想されています。そうした危機に、まずはコーヒー事業を手掛ける私たちが対策を講じなくては! ということで水素焙煎への挑戦がスタートしました。これが実現すれば、化石燃料を使用している従来の焙煎機で、1台につき年間1400トンほど排出していたCO2をゼロにすることができます。
ーー水素で焙煎して、味などに変化はないのですか?
中村さん: 水素は燃えやすいという特性を持つため、高温域はもちろん、特に低温域で温度調整が可能なんです。豊かな焙煎技術が発揮できるため、これまでにない風味、味覚のコーヒーができるのではと、今、さらなるおいしさを追求しているところです。
森中さん: 先ほどいただいたのですが、とてもおいしかったです。香りも良く、深みのあるコーヒーでほっとできました。水素焙煎によって、地球環境にやさしく、さらにおいしいコーヒーが誕生するとは。いち水素ファンとして、とても感慨深いです。
中村さん: 大型の水素焙煎機による水素焙煎コーヒーの製造は、2025年のスタートを目標としています。全国の上島珈琲店でも提供できるようにしたいと思っていますので、ぜひ楽しみにしていてください。
ーー少し水素の安全性が心配なのですが、社会で使われるようになっても問題はないのですか?
森中さん: 水素は、すでに身近に使われているガソリンや都市ガスなどと比べて、特別危ないわけではないんです。例えばガソリンも多くの方が危険性を理解したうえで扱っているからこそセルフサービスの給油が実現しているように、水素も特性を理解して適切に使えば安全に使用できます。空気より14倍も軽いという性質から、タンクから漏れたとしてもすぐに空気中に薄まっていくので引火などの可能性は高くありません。さらに、たとえ漏れても、そもそも毒性がないんです。「漏らさない、漏れたらすぐに止める、そして溜め込まない」。こうした安全原則に基づいて、街の水素ステーションや工場などの発電設備も設置されています。
中村さん: 当社が水素焙煎機に取り組む際も、産業界では古くから水素を使っていたこともあり、危険性は問題視されませんでしたね。ただ油断はせず、しっかりと設備周辺の濃度を測り、注意して取り扱うことを徹底しています。
暮らしの中で手軽に水素が使えるように。2030年頃に、大量の水素が海を渡って日本にやってくる
ーーお話を聞いていると、水素活用は「良いことずくめ」に思えます。今後は、私たちもどんどん水素を使えるようになってくるのでしょうか。
森中さん: そうですね。2017年に日本政府が世界に先駆けて「水素基本戦略(2023年改定)」を打ち出し、2040年には1200万トン、2050年には2000万トンと今の10倍の水素導入を目指しています。今まさに私たちもこの実現に向けて動いていて、そのためにまず十分な量の水素を確保し、供給できる仕組みを整えようとしています。
ーーどうやって大量の水素を確保し、供給していくのですか?
森中さん: それを実現するために、川崎重工は世界初の「液化水素の国際間の海上輸送」を計画しました。「マイナス253度に冷却すると液化して、体積が1/800になる」という水素の特性を生かし、海外で製造した水素を液化水素の形で効率よく船で日本に運んで来ようとしています。もちろん日本国内での水素製造も可能なのですが、国産だけで日本の誰もが使える量を賄うことは難しいんです。そこで海外からも持ってくる、これは小麦や大豆などと同じ考えですね。
ーー具体的にはどのように進んでいくのですか?
森中さん: オーストラリアで製造された水素を液化して日本に運ぶ実証試験をパートナー企業とともに開始し、2022年の春に無事完遂しました(※注)。当社が手掛けた世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」は、非常に低い温度を保ったまま液化水素を安定的に運ぶことが可能です。「100度のお湯が1カ月経っても1度も下がらない」という当社の高性能な断熱技術が生かされた貯蔵タンクが搭載されている、いわば巨大魔法瓶です! 今後は、船や陸上のタンクなどの大型化を進め、一度に運べる量を増やし、2030年頃にはたくさんの水素を日本にお届けしたいと考えています。
(※注)川崎重工を含むHySTRA(技術組合CO2フリー水素サプライチェーン推進機構)がNEDO助成事業として実施。(NEDO:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)
電気、乗り物、食べ物。水素社会実現の鍵は、「たくさんの人が使ってくれるかどうか」
ーー今後、水素活用はどうなっていくのでしょうか?
森中さん: 水素の活用はさまざまな分野で拡大していくはずです。モビリティの分野では、長距離輸送での水素利用が始まっていくでしょう。物流業界でも水素で走る配送車の利用実証が始まっていますし、皆さんの荷物を水素で走る配送車が届けてくれる日もそう遠くないはずです。当社自身も、船や飛行機といった大型モビリティの水素エンジン開発を進めています。さらに、食品大手の日清オイリオグループさんが当社の水素対応の発電用ガスタービン導入を決定されるなど、今後、さまざまな業界で発電や熱利用目的での水素活用がさらに進むでしょう。
中村さん: 水素発電は拡大が期待できますね。電気を使わない企業、家庭はほぼないでしょうし、その一人一人が「水素活用の機会がある」と知っていていただきたいです。さらに当社の水素焙煎珈琲のように、水素をエネルギーに利用した商品など「環境に配慮した商品やサービスを選ぶことで、脱炭素に貢献できるんだ」と多くの方に感じていただけると嬉しいですね。
森中さん: そうですね、例えば家庭用燃料電池(エネファーム)を導入している家庭は、すでに小さな水素発電装置を自宅に持っていて、水素を活用されているわけです。中村さんのおっしゃる通り、今後は水素利用によってCO2を出さずに作られた、環境によい身近な商品がどんどん登場していくはず。ぜひアンテナを張っていていただきたいですね。
ーー 水素社会を実現するために、今後はどんなことをしていきたいですか?
中村さん: 私たちは「すごいぞ水素!プロジェクト」という水素の認知度向上活動を実施していて、昨年はイベントなどで理解を促進したり、水素焙煎コーヒーを試飲していただいたりしました。こうした活動はさらに増やしていこうと思っています。
森中さん: どんなにたくさん供給できるようになっても、誰も使ってくれなければ意味がありません。私たちも「カワサキ水素大學」という動画コンテンツを公開したり、水素を分かりやすく伝えるツールを開発したり、ビジネス層だけでなく、皆さん一人一人にも水素を知ってもらい理解を深めていただけるよう活動を続けていきます。
ーー最後に、お二人それぞれの水素社会に期待すること、それを目指していく思いなどを聞かせて下さい。
中村さん: 今、当社が水素利用の促進に携わっていることを誇らしく感じています。というのも、学校でSDGsを学んだ子どもたちが「お父さんの仕事いいね! すごい!」と言ってくれるんです。その言葉に「子どもたちのために、大人である私たちが地球環境を守っていかねば」と身が引き締まります。未来のために活動できる喜びを感じつつ、これからも水素焙煎で環境にやさしく、かつおいしいコーヒーが提供できるよう力を尽くします。
森中さん: 私は次世代エネルギーとしての水素の存在を知って「水しか出さないなんて、すごい!」と感動して、今の仕事に至ります(笑)。私にも子どもがいるので「水素社会の実現は、私たち世代の使命だ」と本当に感じますね。川崎重工として、水素の供給はもちろん活用においても仲間をたくさん増やしていきたいと考えていますし、これからも皆さんが「水素を使ってみたい」と思えるような社会づくりに貢献したいと思っています。
取材を終えて
今回の対談で感じたのは「水素活用は待ったなしに進んでいくのだ」ということだ。おそらく水素無しには脱炭素、カーボンニュートラルの実現は難しい。一方で、この水素社会の実現において鍵となるのは、私たち生活者一人一人が「水素を使う選択をするかどうか」だ。水素は環境にいい。しかし導入コストを考えると、その価格は少し高くなるだろう。それでも私たちは「水素」を選べるだろうか。「この選択は誇れるものなのか?」持続可能な社会、子どもたちが健やかに生きていける未来のために、そんなモノサシを私たちが持つべき時が来ている。
記者:笠井 美春
愛媛県今治市出身。大学を卒業後、企業にて秘書、採用、人材育成、広報に携わったのち、2011年からフリーライターへ。企業誌や雑誌で幅広く取材、インタビュー原稿に携わっている。
提供:川崎重工株式会社
https://www.khi.co.jp/hydrogen/college/
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp