“~ずいずいずっころばし~”
どこかで聞いたわらべ歌、記憶にありませんか?。
その後の歌詞は“茶壺に追われてトッピンシャン~”となっています。
このフレーズの意味はお分かりでしょうか? 難しいですネ。
実は今回「お茶の京都」のプロモーション キャンペーンを取材していて、やっとその意味が分かりました。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
どこかで聞いたわらべ歌、記憶にありませんか?。
その後の歌詞は“茶壺に追われてトッピンシャン~”となっています。
このフレーズの意味はお分かりでしょうか? 難しいですネ。
実は今回「お茶の京都」のプロモーション キャンペーンを取材していて、やっとその意味が分かりました。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
時は江戸時代。徳川幕府が将軍や幕府御用のため使者(採茶使)を京都宇治に派遣しその年の新茶を入手して、江戸へ持ち帰るという制度がありました。
寛永9年(1632年)に制度化され慶応3年(1867年)まで続いたと言われています。その間約240年。その際、それぞれの宿所で何百人という人達が動員され、大変な権威で諸国の大名行列をも凌ぎ、茶を持ち帰ったと言われています。これを「お茶壺道中」と言いました。
従って、武士、町人はもとより子供までが「茶壺に追われた」訳です。
この「お茶壺道中」が11月3日、文化の日に東京丸の内の仲通りで現代風に再現されました。
真ん中の駕籠の中にはきらびやかで可愛い茶壺が3つ
京都から到着した「お茶壺道中」の一行は、仲通りにある国際ビルの前から出発し東京駅近くの丸ビル1F、マルキューブまで約700メートルの道中で24人の人達が徒歩(かち、旅姿の武士)、茶道頭、足軽、奴に扮して「下に~い、下に」と練り歩きました。
真ん中の駕籠の中にはきらびやかで可愛い茶壺が3つ。駕籠の上には三つ葉葵の御紋がついていました。
「お茶壷道中」の一行は、沢山の観光客を引き連れながら次なるイベント会場へ到着しました。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
(丸ビル1F マルキューブ)
到着点である丸ビル1Fではすでにイベントが始まっていました。
“~月はおぼろに東山、かすむ夜空の~”と三味線の音色に合わせて可愛いい舞妓さんの踊りが始まっていました。そんな雰囲気の中、道中を率いてきた徒歩頭(かちがしら)から裃姿の京都府副知事 城福 健陽(じょうふく たけはる)氏に大切な茶壺が手渡されました。
正式なセレモニーは城福副知事のご挨拶から始まりました。(つづく)
裃姿の京都府副知事 城福 健陽(じょうふく たけはる)氏に大切な茶壺が手渡される。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
徒歩頭(かちがしら)を務める京都府副知事 城福 健陽(じょうふく たけはる)氏
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