国内外で高い評価を得る建築家の藤本壮介さん。その建築作品は、単なる美しい建物や空間に留まらず、感性や表情、時間といった目に見えないものが宿り、新しい価値を生み出しています。建築家への道のりから、初めて手がけた時計のデザインについてまでを聞きました。
なんてクリエイティブ! 物理学に心奪われた少年時代
ーー幼いころはどんな少年だったのですか?
北海道の釧路で生まれ、小学2年のときに医師である父が病院を開業するために旭川市の郊外の東神楽町に引っ越しました。当時はものすごい田舎で、家の周りに広がる雑木林で探検ごっこをしたものです。一方で、空想しながらモノを作ることも好きで、小さいころはよく粘土で恐竜を作っていました。ほめてもらえたのがうれしくて、作った恐竜を片っ端から並べて飾って(笑)。あとは、何かガラクタ的なものをよく作ってましたね。
高校に進んだころから、物理学に強く魅かれるように。おやじの本棚にあった物理学の本を読んでアインシュタインなどの存在を知り、「こんな風に新しいことを考え、未来を切り開いていった人がいたんだ」と、ものすごくワクワクしました。僕にとって物理学は、新しい概念を生み出す、とてもクリエイティブな活動に見えたんです。
ーー高校卒業後は東大へ進学されます。東大を選んだ理由は?
物理学がおもしろそうだなとは思っていましたが、とはいえ学者を目指すとかまで深くは考えていなくて。なんとなく自分の興味のあることが学べる選択肢がありそうだったのが、東大の理科I類でした。ところが入学して実際に物理学を学び始めると、難しすぎて理解不能(笑)。これは無理だ、とすぐに諦めました。
そして選んだのが建築学科でした。動機は……なんだったのかなぁ(笑)。そのころの僕が知っていた建築家はアントニオ・ガウディだけ。丹下健三さんも安藤忠雄さんも、ましてやル・コルビュジエすらも知らなかった。でも最初のころの課題で、パビリオンを作るとか、自分が建築家になったらどんなアトリエを作るかとか、やってみたらすごくおもしろかった。自分に向いてそうだな、と思いました。
さらに、コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエといった20世紀初頭の近代建築の歴史を学び、自分がいつも見ている建築物とは明らかに違う彼らの建築に感銘を受けました。20世紀初頭は、物理学ではアインシュタインが相対性理論を発表し、アートの世界ではキュビズムなどの運動が起こるなど、いろいろなジャンルで革命的なことがあった。建築も、単に建物を作るだけではなく、新しい概念や考え方を作っていくという広い意味でのクリエーションがあると知り、すごく楽しくなってきた。それは、物理学に抱いたワクワク感にすごく近かった。そこから一気に建築にのめり込んで行きました。
誰かと意見を重ね合うことで、自分ではできないことが実現する。
ーー建築家としてのビジョンはあったのですか?
建築家としてやっていけたらいいな、と漠然と思ってはいましたが、どうしたら建築家になれるのかなんて学生にはわからない。かと言って、どこかの建築事務所に勤めて経験を積むっていうのもイヤだなぁ、と。大学で勉強しただけだから自分なりの建築が確立しているはずもなく、このまま一線の建築家の下で働いたら自分を見失いそうとか、そもそも受け入れられないんじゃないかとか、若さゆえの意味のない悩みでウダウダしているうちに、そのまま卒業してしまったんです。
で、結局どこにも勤めず、働かず。要はニートです(笑)。ただ、建築のことは好きだったので、これからの建築については真面目に考えていました。そして、ときどきはコンペに応募したり。そんな日々が6、7年続きました。
ーー転機は?
2000年に青森県立美術館の設計コンペに参加したところ、2位になりました。そのときの審査員に伊東豊雄さんがいらっしゃって、「こいつ、おもしろそうだ」と思ってくれたのか、メディアなどで僕の名前を挙げてくれるようになったのです。そんなこともあり、世の中から少しずつ注目してもらえるようになって、徐々にコンペにも入選するように。水の底に沈んでいたのが、ようやく水面近くまで上がってきた。そんな感じでした。
手がけた建築でのターニングポイントはいくつかありますが、一つ挙げるならば、北海道伊達市に建設した精神医療施設「情緒障害児短期治療施設」(2006年)です。僕は精神医療のスペシャリストではないので、現状の問題点やビジョンなどを院長から聞き、その上で医療施設のあり方を問い直した。結果、建築物としてだけでなく、考え方の部分も含めてとてもチャレンジングな建築物になりました。それが国内だけでなく海外でもアワードを受賞するなど評価され、「何かおもしろそうなことをしている若者」から、「建築的な提案まで高められる建築家」としての評価をいただけるようになった気がします。
ーー建築のおもしろさとは?
クライアントとやりとりする中で、今までは気付かれていなかったこと、明確な言葉になっていなかったことを発見しながら、建築物として形にしていく。そして完成した建築物によって、新しい価値や豊かなライフスタイルを生み出すなど、現実世界を少しずつよくしていく。誰かとの意見を重ねることで、自分だけでは考えつかないようなことが生まれ、実現することが、建築のおもしろさだと思います。
時計のデザイン、建築家だからできたこと
ーー今回、「CITIZEN L Ambiluna」のデザインアドバイザーを務められました。時計のデザインを手がけてみて感じたことは?
たとえば図書館を作るときには「図書館ってなんだろう?」と考え、自分なりに言葉にすることから始めます。それと同様に、今回は「時計ってなんだろう?」と書き出してみました。すると、大きさこそ違うけれど、時計も建築もシンプルな中に本質的なものが凝縮されていることに気づいた。たとえば、「CITIZEN L Ambiluna」は光で動くエコ・ドライブが搭載されていますが、建築も光とは非常に密接な関係にあります。人は光の中で生活している、でも建築物を作ると光が遮断される。だから、どうやって光と人間の関係を作り直すかが建築の大きなテーマなのです。今回の「CITIZEN L Ambiluna」も、「時間」と「光」という本質的なものを問いかけるような、あるいは再発見できるようなものができたらいいんだーー。そう考えると、建築をやっているときと実は思考のプロセスはそんなに違わない。意外と似ているところが発見できたことは純粋におもしろかったですね。
ーー難しいと感じたことはありましたか?
考えに考えて「光のゆらぎのように時間を感じられる時計」というコンセプトを提案し、シチズンの皆さんもそれに共感してくれた。でも、じゃあそれをどう形にしていくかという実現化のプロセスは、時計は建築以上に精度が高いし、僕が知らない制約がたくさんあるわけです。また、建築ならば図面を見れば空間の見当がつくのですが、時計の場合、デリケートすぎて正確に想像しきれない。そこが不安だった。そんな赤ちゃんみたいな僕に、シチズンの技術陣やデザイナーの皆さんは一つひとつ丁寧に教えてくれました。さらに「こうしたらもっとおもしろいのでは?」という僕の無理なお願いにも真剣に対応してくれた。一から学んでいく中で意見を交換するのは大変だったけれど、とびきり楽しい時間でもありました。
決まったやり方はある。でも、そうじゃないやり方がないかを常に問いかけ続ける。建築に取り組む上で大切にしていることに、僕は「CITIZEN L Ambiluna」を通じて改めて向き合えたように感じています。(後編へつづく)
インタビュー会場:藤本壮介建築設計事務所【特別協力】
藤本壮介さんがデザインアドバイザーを担当した「CITIZEN L Ambiluna」のご紹介
ーーBackstage from “ethica”ーー
国内外で高い評価を得る建築家。一体どんな幼少期を過ごし、どんな道のりを歩んでこられたのか、興味深くお話を伺いました。中でも印象深かったのが「物理学って、とてもクリエイティブなんですよ」というひと言。そんな藤本さんが初めて挑んだ時計のデザインには、建築家として積み重ねてきたキャリアやスキルだけでなく、新しい概念を生み物事を切り開いていくことに魅せられた少年時代の思いも、ぎゅっと詰まっている。「CITIZEN L Ambiluna」を愛おしそうに見つける藤本さんの優しい目は、そう語っているように見えました。
記者:中津海 麻子
慶応義塾大学法学部政治学科卒。朝日新聞契約ライター、編集プロダクションなどを経てフリーランスに。人物インタビュー、食、ワイン、日本酒、本、音楽、アンチエイジングなどの取材記事を、新聞、雑誌、ウェブマガジンに寄稿。主な媒体は、朝日新聞、朝日新聞デジタル&w、週刊朝日、AERAムック、ワイン王国、JALカード会員誌AGORA、「ethica(エシカ)~私によくて、世界にイイ。~ 」など。大のワンコ好き。