職業=矢沢永吉。スタジアム公演を余裕で満杯にする「俺様」から学ぶ、私によくて、世界にイイ。
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職業=矢沢永吉。スタジアム公演を余裕で満杯にする「俺様」から学ぶ、私によくて、世界にイイ。

3月18日より山手線全29駅に矢沢永吉ポスターが登場!約47年間に及ぶ矢沢永吉の活動を振り返れるような、様々な時代の写真が駅のホームで展開されてます。

2019年でデビュー47年を迎える矢沢永吉さんが、大阪と横浜の2か所にて、自身初となる展示会「俺 矢沢永吉」を開催します。そして「俺 矢沢永吉」という写真集も発売されます。

こんなドヤ感全開のタイトルをつけても何か憎めないのが、芸能界屈指の俺様キャラ、永ちゃんです。

日本のロックの礎を築いた一人であることは間違いありません。いっぽう、音楽業界全体を見ると、ここ数年はCDが売れなくなり、厳しい環境におかれています。そんななかでも、矢沢永吉さんは、武道館やスタジアムのライブを満杯にする実力を、70歳間近となる今でも維持し続けています。

ここでは、トップに上り詰めた自分の地位に満足せず、人々をハッピーにするための努力を惜しまないプロフェッショナルである矢沢永吉さんの人物像を紐解いてみたいと思います。

何かに属さない、依存しない「矢沢永吉」ブランドの強さ

矢沢永吉さんのコンサートが武道館で行われる夜、地下鉄の九段下駅は、ウキウキしたファンたちでごったがえします。まるで、iPhoneの発売日にアップルストアの前に並んでいる人たちや、隅田川花火に毎年訪れる人たちと同じようなテンションの高さを感じます。

ただ、このようなコンサートに馳せ参じるコアファンだけで閉じることなく、日産やサントリーのCMにも起用されるような大衆性を兼ね備えているのが、「矢沢永吉」ブランドの強さでもあります。

そう、彼の職業は「矢沢永吉」なのです。

自ら、その矢沢永吉という「商品」を見つめ直して、長年磨きをかけ続けてきた結果により、今のゆるぎない地位があります。

思えば今は、音楽業界に限らず、個人が大企業に属していれば安泰だったような少し前と比べて、自分の職場や世の中がどうなっても食べていけるよう、自らの価値を磨いておく心構えや準備が必要ではないでしょうか。そんななかで、矢沢永吉さんが1972年のデビューから実践してきた「生き残り術」には、多いに学ぶべきものがあります。

伝説のバンド「キャロル」の元メンバーという肩書きを捨て、「ヤザワ」になった潔さ

2018年秋に放映された、ツッパリ高校生を描いたドラマ「今日から俺は!!」で、もはや死語に等しかった「ツッパリ」という言葉が再び脚光を浴びることになりました。主題歌になった「男の勲章」は、もともと嶋大輔さんの1982年のシングルですが、その音楽スタイルのルーツは、1972年にデビューした「キャロル」というバンドにあります。矢沢永吉さんは、そのキャロルのベーシストであり、シンガーであり、作曲家でした。

その当時、ビートルズなどの洋楽は、オリジナルの英語の歌詞のまま歌われていました。日本製の音楽の主流は、作曲家・作詞家・歌手の分業によって成立する日本語で歌われる「歌謡曲」でした。それに加えて新しいムーブメントとして、アーティストが自ら作詞・作曲をして、アコースティックギターを弾きながら歌う「フォーク」と呼ばれるジャンルが人気を集めてきていました。吉田拓郎さんや井上陽水さんがその代表格でした。

そこにひとつの風穴を開けたのが、初期のビートルズのようなストレートな曲調のロックンロールを、革ジャン・リーゼントというツッパリ風の格好で歌う、キャロルという4人組バンドだったのです。

キャロルの楽曲のひとつの特徴として挙げられるのは、日本語で歌い始めたと思ったら途中から英語にスイッチする、日・英混合のオリジナル歌詞でした。

今では、J-POPの楽曲タイトルや歌詞のなかで英語のフレーズを使うのは普通のことになっています。日本人に聞いてもらうのだから基本は日本語の歌詞だが、言葉のリズムやフィーリングがしっくりくる箇所には自由に英語を当てる、という手法は、キャロルが編み出したものと言っても過言ではありません。

そのキャロルは人気絶頂のなか、たった3年で解散してしまうのです。ところが、間髪入れずに矢沢さんは渡米し、自分のソロアルバムをレコーディングして帰国します。

1975年に発売された第1弾シングルの「アイ・ラヴ・ユー, OK」はバラードで、その音楽スタイルは、キャロルがベースにしていたロック調のものとは全く違っていました。

ファンは、あまりにもキャロルとは違うサウンドに失望したとも言われています。しかし、キャロルの成功体験に甘んじることなく、最終ゴールとして見据えた大スター「矢沢永吉」を造りあげるために、「元キャロルのヤザワ」を潔く捨てて、新しいスタイルを模索したのでした。

現状に甘んじず、変わる勇気を持つこと。

それが長年に渡って彼がトップの座に留まっているひとつの要因でもあります。

日本では昨今、QRコード決済「PayPay」が注目を浴び始めましたが、矢沢永吉さんのコンサートは、数年前から紙のチケットでなくQRコードでの入場を導入しています。そんなところにも「今までこうだったから、これからも同じでいいや」をよしとしないご本人の姿勢が見てとれます。

展示会「俺 矢沢永吉」で展示予定のステージ衣装

勝率の低いギャンブルに勝つための、最後まであきらめない精神

タレントのインタビューで、芸能界に入ることを親に反対された、という話は、よく聞きます。なぜでしょうか?職業として成立するまで上り詰めることができる可能性が低いギャンブルだから、親御さんは心配するわけです。

ただ、幼少のころに母親と別れ、その後、父親とも死別してしまい、親戚の家を転々とした矢沢少年には、そのギャンブルに反対する親御さんすらいませんでした。

高校卒業後、バイトで貯めた5万円を握りしめ、広島から最終の夜行列車で単身上京した矢沢少年。東京ではなく横浜で途中下車してしまい、神奈川県を拠点に活動を始めるのですが、バイトをしながらメンバーを集め、演奏させてくれる店を探して交渉します。言い方は悪いですが、キャロルの前に結成したバンドは、ある意味「腰掛け」でした。他のバンドからうまいメンバーを引き抜いたり、今まで一緒にやってきたメンバーをクビにしたり、自分が目標を達成するためには、ちょっと人の道に外れているのではないか、という手段を取ったりもしていました。

その後、このギャンブルに勝って億万長者になったときに発売された、自らの生い立ちを語っている「成りあがり」という本に、これらの過程が生々しく描かれています。これは、今読んでも、そのへんにあるビジネス本よりも、人としてステップアップするための心構えを叩き込まれる名著です

芸能界も、勝負の世界です。そして、その勝率は極めて低い。

ただ、その勝率は、サイコロの目を振るときと同じものではないのです。

勝てる確率が低い勝負には、最初から「運がよければ成功するかも」「失敗してもしかたないよね」と、あまり過度の期待をせずに取り組んでしまうのが人の常です。そして、うまくいかない兆候が出てくると「やっぱりね」「もうだめだな」と、簡単にあきらめてしまいます。ただ、矢沢さんのように「絶対に成功する」という意思を持って、それに必要なあらゆるアクションを起こしている人は、ちょっとくらい障壁があっても脱落しません。

多くの人が脱落したあとに残るのは、少数の人だけ。

その少数のなかでさらに生き残るのは、実力勝負で、もはやギャンブルではないかも知れません。

売れないのは事務所のせい、業界のせい、運のせい、と言っていたら、そこで勝負は終わりです。

10%の確率しかない勝負ごとでも、そのために努力や準備を十分にした人にとっては70%にもなり、単に人任せ・運任せにしている人には0.1%にもなるのです。

成功に奢らず、冷静に次を見据えること

九段下駅に集結する矢沢永吉さんのファンは、コンサートをやれば必ず来る人たちでしょう?…そう思うかも知れません。

ただ、基本的には、同じことをやっていたら、ファンは徐々に減っていきます。

大ヒットを飛ばしたアーティストは、その年は武道館を満員にできるかも知れません。そうすると、人間と言うのは弱いもので、心の奥底に奢りが生じてしまいます。人は逆境には意外に打たれ強いのですが、うまく行っているときほど弱いものなのです。

「成りあがり」のなかに、キャロルがブレイクしたころ、仕事が終わると自分は川崎の家に帰っていたけれど、メンバーは夜な夜な飲みにでかけていた、というくだりがあります。永ちゃんと言えば、高級外車を乗り回している無駄使い大好きなイメージがありますが、どこかに堅実で冷静な、奢らない自分がいるのです。

ファン心理というものも気まぐれなもので、ヒットした年に武道館に来た観客でも、次の年にはパッタリ来なくなるかも知れません。

音楽アーティストのひとつの道は、そんなに目立ったヒット曲がない年でも、また観たい、今度は誰かを連れて来たい、と思わせるようなバリューを、ライブでも提供することです。

それを実践してきたからこそ、矢沢永吉さんの今の圧倒的な地位があると言えます。ファンでない方でも、曲を知らなくても、一度はステージで輝く彼の姿を観て、パワーをもらってみるのはいかがでしょうか。

展示会『俺 矢沢永吉』
大阪会場: ハービスHALL、2019年4月17日(水)〜20日(土)
横浜会場: YCC ヨコハマ創造都市センター、2019年5月3日(金・祝)〜12日(日)

写真集『俺 矢沢永吉』
発売日:2019年4月15日(月)

矢沢永吉公式サイト|YAZAWA’S DOOR
https://www.eikichiyazawa.com/

記者:山田 勲

上智大学理工学部卒。1985年ソニー株式会社入社。ソニー・ミュージックエンタテインメントEPICソニーレコードのディレクターを経て、インタービジョン・レーザーフィッシュ取締役などを歴任、ethica編集部では音楽制作の現場経験を活かし、音楽を中心にエンタメ分野のライティングを担当。これまで担当した著書に「デジタルエレクトロニクスの秘法」(岩波書店ジュニア新書)、「0と1の世界」(教育出版・中学国語3)の寄稿がある。

ーーBackstage from “ethica”ーー

私が音楽業界に入ったときに、最初に仕事を教わった師匠が、矢沢永吉さんの元ディレクターでした。彼に言われたなかで、いちばん心に刻まれているのが「山田、オマエ名刺で仕事をするんじゃないぞ」という言葉でした。メジャーレーベルのディレクターと言えば、今で言うトップIT企業の社員のようなステータス感のあるものでした。ただ、その名刺の肩書きがなくなっても「山田さんに仕事を頼みたい」と言われるような存在になれ、と私に伝えたかったのだと思います。それを思い出しながら、書きました。

「成りあがり」は、若き日の糸井重里さんが、矢沢さんを相手にインタビューをして書き起こしたベストセラーでした。もし時代背景を知らない世代の方が、お読みになるのでしたら、次の4曲を聴いてからにすると、よりイメージが湧きやすいと思います。

ビートルズの「スローダウン」と「ゲット・バック」
キャロルの「ルイジアンナ」
矢沢永吉の「アイ・ラヴ・ユー, OK」

私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp

山田 勲

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