世界的な広告(クリエイティブ)の祭典「カンヌライオンズ」にて行われた電通の木下舞耶さん、国際パラリンピック委員会(IPC)のチーフ・マーケティング・コミュニケーションズ・オフィサー、クレイグ・スペンスさん、そしてパラリンピック金メダリストのマールー・ファン・ラインさんの対談の様子をレポートします。(記者:エシカちゃん)
時代は変わっている
進行: このセッションで、パラリンピックのメダリストたちを迎えられることを光栄に思います。ここでは電通が人類や創造性におけるパラリンピックによるインパクト(影響)についてディスカッションします。
それでは電通のクリエイティブ・ディレクターの木下舞耶さんにご登場いただきましょう。
木下舞耶: こんにちはみなさん。そして電通のセッションへようこそ。モデレーターの木下舞耶です。
カンヌライオンズで現代社会のポジティブな変化が反映されていることに、ワクワクしませんか?近年は、カンヌの審査員や広告業界自体も、ジェンダーや人種がさらに多様になってきています。
このステージの上でも、日米ハーフの若い女性が日本のエージェンシーを代表して立っているなんて誰も考えもしなかったことでしょう。時代は変化しているのです。
社会の変化と人間性の前進をもたらす『Paralympics Impact』
木下舞耶: 我々の業界は多様性がクリエイティビティにおいていかに重要であるか理解しており、そのことを驚くべき実績で証明しています。しかし、同じことが障がい(障がい者)においても言えるでしょうか?クリエイティビティにおいて重要な役割を果たしているでしょうか?
今年の審査員に、目が見えない人はいましたか?耳が聞こえない人はいましたか?(会場の)レッドカーペットの階段は、車椅子フレンドリーと言えますか?
しかしこれは広告業界だけの問題ではありません。この社会全体が、健常者優位につくられていて、障がい者は置き去りにされているのです。これは十分議論されてきていない問題ではありますが、我々は、これはチャンスだとも信じています。新しい価値観や新しい才能、新しい挑戦を迎えることで、人類を前進させるためのチャンスなのです。
想像してみましょう。目の見えない人の発想で、食体験はどう向上できるか?聴覚障害を持つ観客を想定すると、音楽はどう進化するか?パラリンピックのために開発された義肢のテクノロジーが、高齢者がアクティブに生きるためのヒントになるか?
電通では、障がいを持つ人をもっと土俵に上げていくことによる社会変革と人類の発展を“パラリンピック・インパクト”(Paralympics Impact)と呼びます。
本日、Paralympics Impactについての当事者からの視点をくれる二人のスペシャルゲストをお招きしています。まずはパラリンピックの社会的重要性のために国際パラリンピック委員会(IPC)のチーフ・マーケティング・コミュニケーションズ・オフィサー、クレイグ・スペンスさんを歓迎してください。
パラスポーツを通して誰も排除することのない社会を作り上げる
クレイグ・スペンス: 世界銀行によれば、世界には障害をもつ人たちが10億人いるそうで、つまり約6人に1人が障害をもっていることになります。
その膨大な数にも関わらず、障害をもつ人は社会の主流から最も遠いところに置き去りにされたマイノリティ集団であり、障害をもたない人に比べて、教育、健康、雇用に関して不利益を被る場合が多くなっています。
障害があることは不名誉であるという考え方は変えなければなりません。そして誰もが社会に受け入れることのできる未来でなければなりません。人は対立ではなく協力を通じてのみ、お互いに最高のものを得ることができるのです。
国際パラリンピック委員会では、パラスポーツを通して誰も排除することのない社会を作り上げるためのビジョンを掲げています。
これを実現するベストな手段がパラリンピックなのです。
ソーシャル・インクルージョンを推進
クレイグ・スペンス: 今日のパラリンピックは人間の多様性を称える素晴らしい祝典であり、ソーシャル・インクルージョンを推進する上で世界一のスポーツイベントとなっています。
東京2020大会は、ロンドン2012大会以上の過去最高のパラリンピックになり、観客は競技を目の当たりにして感嘆の声をあげるものと十二分に確信しています。
東京2020大会では、50m自由形で30秒を切る中国の鄭涛(テイ・トウ)選手のように両腕のない水泳選手や、エジプトのイブラヒム・ハマト選手のようにラケットを手に持つのではなく口にしっかりとくわえてプレーし、勝利によって人々に感動を与える卓球選手、そしてドイツのマルクス・レーム選手のように8.48m(直近3回のオリンピックにおいても優に金メダルを獲得できるだけの距離)も跳ぶ片足の走り幅跳びの選手を見ることができるでしょう。
パラスポーツのようなものは、従来は存在していませんでした。このスポーツは、自分自身や他の人々を今までとは異なる視点から見つめる機会を与えてくれます。
キューバのオマラ・デュランド選手は、伴走者の誘導があるとはいえ、不自由な視力にも関わらず今もなお100mを11.40秒で走ることができます。
イタリアのベアトリーチェ・ヴィオ選手は、11歳のときに病気で両腕と両足を失いました。8年後のリオ2016大会。彼女は金メダルを獲得し、世界一の車いすフェンシングの選手として歓喜の叫びをあげました。
パラリンピックのアーチェリー選手ザーラ・ネマティさんは、ロンドン2012大会で、オリンピック・パラリンピックを通じてもイラン人女性として初の金メダリストとなり、スポーツの技能をもつイスラム教徒の女性を勇気付けました。
IPCは、物事の見方を変革するにはポジティブな体験が一番であり、その中でもパラリンピックに勝るものはない、という強い信念を持っています。
ロンドン2012大会はパラリンピックムーブメントにとっての大変革
クレイグ・スペンス: ロンドン2012大会はパラリンピックムーブメント全体にとっての大変革であり、パラリンピックを全く新たな段階へと押し上げました。
国際的な広告賞を多数受賞したChannel 4の「Superhumans」という素晴らしい広告キャンペーンは、パラリンピックスポーツの認知度を高めるという意味では、おそらくこの25年間にわたって積み上げられてきたすべての努力に勝る成果を60秒で成し遂げました。
ロンドン2012大会は、障害をもつ人々に対するイギリス国民の3人に1人の認識を変えたという点で非常に大きな影響を社会に与えました。
このような変化は、スポーツを通じて、また可能性の限界を絶えず拡げようと努めているパラリンピック選手たちの偉業により成し遂げられました。
物事の見方が変わったというのは確かな事実として、それがいったい何をもたらしたのでしょうか。
ロンドン2012大会以降、イギリスにおける障害者雇用数は100万人近く増加したことが昨年判明しました。また、プレゼンターやインタビューの受け手、俳優として障害をもつ人々がテレビに登場することがしばしば見受けられます。
ブラジルでは、2009年にリオデジャネイロがオリンピックとパラリンピックを開催する権利を獲得したときに比べて、現在の障害者雇用数は49パーセントも増加しています。
パラリンピックが社会の変革を促進する役割を果たしていることは間違いなく、国連が掲げている持続可能な開発目標(SDGs)の17項目のうち11項目の実現に貢献しています。
パラリンピックは人々の物事の見方や大都市のインフラを変え、さらに最も大事なこととして、世界中の何百万人もの人々に自信を与え、彼らの人生をも変えます。
パラリンピックは、人類を前進し続けるための挑戦、そして可能性を全て内包しているのです。そして、一人一人のちがいは強みであり、人々が抱えている障害ではなくその能力にこそ注目すべきであることを世界に示しています。
今後、東京2020、北京2022、パリ2024、ロサンゼルス2028と各大会の実施が決まっており、パラリンピックムーブメントやパラリンピックの発展、さらに世界中の何らかの障害を抱える10億人の人々にとっての明るい未来が広がっています。
しかし、本当にスポーツイベントに頼って障害に対する考え方を変えるべきなのでしょうか。この目的を実現する方法は他にないのでしょうか。
広告業界ができることが、まだまだたくさんある
クレイグ・スペンス: ここカンヌには、世界で最も創造性に富んだ人々が一堂に会しています。しかしあなたは一経営者として、自分の組織や、その創造的なキャンペーンが社会の現状を真に反映していると心から言えるでしょうか。
今日の雇用やキャンペーンにおいては、例えば25年前と比べると、ジェンダー、人種、性別のバランスがよいことは明白です。しかし障害をもつ人々についても同様であると言えるでしょうか。私の見立てでは、世界には6人に1人の割合で障害をもつ人がいることを訴えるために広告業界ができることが、まだまだたくさんあります。一人たりとも取りこぼすことのないよう、私たちはさらに努力しなければなりません。
障害をもつ人たちは最も創造性豊かな人たち
クレイグ・スペンス: 最後に、私の経験から学んだことを正直に申し上げますが、障害をもつ人たちは私がこれまでお会いした中で最も創造性豊かな人たちの中に含まれます。彼らは日々困難に直面する中で、行く手を阻むものは従来とは異なったやり方で克服すべき課題であると捉えています。これは私たちの多くが日々の生活の中で見習うべき信条であると私は思っています。
さて、次の講演者をお迎えする前に、日本のテレビ局WOWOWが制作したドキュメンタリーシリーズ“Who I Am”の紹介ビデオをご覧いただき、続いてパラリンピックの金メダリスト、エリー・コールさんからの特別メッセージをお聞きください。それでは皆さん、エリー・コールさんです。
エリー・コールのビデオメッセージ
(オープニング)私はいつか人々が障害者を、「何ができないか」ではなく「何ができるか」で判断してくれる日が来るのを見たいです。これが私です。(キャッチコピー「This is Who I Am.」)
こんにちはみなさん。エリー・コールです。電通セミナーにお招きいただきありがとうございます。今日は、パラリンピックがいかに私の障害に対する見方を変えたかについて、またパラリンピックムーブメントの意義について個人的な話をシェアしたいと思います。しかし残念なことに、ここしばらく私は調子が悪くてドクターに飛行機に乗ってはいけないと言われてしまいました。良い知らせは、私のアスリート仲間で私が深く敬愛するある人が、私の代わりを担ってくれます。親愛なるマールー、今日は私の場所を埋めてくれて本当にありがとう。来年の東京であなたに会うことを楽しみにしています。みなさん、3度のパラリンピック金メダリストでありブレードランナー最速の女性、マールー・ファン・ラインを、大きな拍手で歓迎してください。
どうやってパラリンピック選手になったか
マールー・ファン・ライン: こんにちはみなさん。
木下舞耶: みなさん、ブレードランナー最速の女性、マールー・ファン・ラインさんです、宇宙で一番かっこいいタイトルの持ち主ですね。あなたを迎えることができてとても嬉しいです。あなたにとってのパラリンピックのインパクトと、それがあなたの人生や社会をどう変えたのかについて、いくつか質問したいと思います。私の最初の質問は、あなたはどうやってパラリンピック選手になったかということです。
マールー・ファン・ライン: そうですね、時間はかかりましたよ。実は当時私は少々太りすぎていて、母親に何かスポーツを始めたらと言われたのです。それが、私がスポーツを始めたきっかけです。そして水泳を選びました。水泳は義足などいらないのでそれなりに簡単ですからね。私は水泳をとても楽しみました。しかし私は勉強がしたかったので水泳を辞めました…たった半年ですけどね、スポーツが恋しすぎて。そしてある時競技者連合から、もっと高みを目指さないかと声がかかりました。というのも、彼らに言わせると私にはどうやら、“走るのに完璧な障害”があったからです。(笑)私は不思議に思いましたよ、私には足がないんですからね。でもやってみようと思いました。それが私のきっかけです。
何ができないかではなく、何が可能なのか、どうやるかということに尽きる
木下舞耶: あなたの最初のパラリンピックはロンドンですね。
マールー・ファン・ライン: はい。初めてのことでとても興奮していました。なぜなら私はパラリンピックについてあまり深く知りませんでしたから。私は普通の学校に通いましたし、スポーツだけ私は健常者と分かれて行っていました。なので、パラリンピックについて知っているといえば知っていましたが、実際そこに自分で辿り着くまで、完全にはわかっていませんでした。実際ロンドンではその素晴らしさに驚かされることになりました。すべてが一丸となって…8万人もの人々による素晴らしいイベントでした。競技者の素晴らしさもさることながら、ボランティアも最高で、すべてが一丸となった偉大な大会でした。
木下舞耶: 素晴らしいですね。あなたは金メダルを獲得しましたね。変化はありましたか?前と後とでは何が変わったんでしょうか、パラリンピック・インパクトとして。
マールー・ファン・ライン: そうですね。突然、誰もが私のことを知ることになったんですよね、私が誰で私の国についてなど…私が帰国するとたくさんのインタビューが待ち構えていて。しかし200mで金メダルをとったにも関わらず、メディアがまず知りたがる質問はいつもこうでした、あなたの障害は何ですか?どうしてそうなったのですか?私はそれは変な質問だと思いました。なぜなら私にとってどうレースを制して勝利したのかという方が重要だったからです。たまたまブレードで達成することになりましたけど。ロンドンの体験はそこを変えたと思います。スポーツよりも障害の方を聞かれることをおかしいと感じるようになったことです。
木下舞耶: 競技者としてね。しかも、金メダリストなのに。
マールー・ファン・ライン: そうですよ。なのでロンドン以降、障害ではなくスポーツに着目してもらおうと努力しました。人々に「(何ができないかではなく)何が可能なのか、どうやるかということに尽きる」と本当に示すためです。
木下舞耶: ありがとう。ここに写真があります。あなたはファッショナブルなスタイルに身を包んでいますね。この写真について教えてください。
マールー・ファン・ライン: これはハーパーズ・バザー誌のWoman of the year賞を受賞した時の写真です。素敵でしょ!
(拍手)
マールー・ファン・ライン: あらありがとう。いうまでもなく素晴らしかった…
木下: 知らされていなかったんですよね。
マールー・ファン・ライン: ええ。ハーパーズ・バザーのような雑誌の表紙撮影なんて興奮しすぎて、ちょっと緊張してしまいました。ただ表紙を飾る人がWoman of the yearの受賞者であることを意味しているとも知らず…なのでいきなり(ステージに)呼び出された時は何も準備していませんでした。それでも素晴らしいことです。
自分らしく取り組むことだけが誰かに影響を与える方法
木下舞耶: しかしWoman of the yearに選ばれたということは、非常に多くの女性、男性、子供達に影響を与えたということですよね。あなたが持つ自信はどこからやってくるのですか?
マールー・ファン・ライン: ひとつ、知っておくべき非常に重要なことは、我々はみな同じだということです。規模の大小にかかわらず、何かに挑戦しなければいけない時だれだって不安に思います。私は(だから)ただやるしかないんだ、飛び込まなくちゃいけないんだと思うのです。あなたらしく、自分を信じろと。自分らしく取り組むことだけが誰かに影響を与える方法だと思います。メインステージに上がるためにはそうするべきだと思います。
木下舞耶: ありのままに生きると。
マールー・ファン・ライン: その通りです。人間らしくあれってこと。
ロンドン大会から影響を受けたこと
木下舞耶: 聞きたいのですが、ロンドン大会から影響を受けたことはありましたか?何かのきっかけになったようなことは…
マールー・ファン・ライン: 興味深かったのは、ロンドン以降スポーツのプロモーションにおいて「外に出て走れ、たとえ足がなくても」っていうことをたくさんやったんです。ある日、とある男の子の父親が私のところにきて、「いいことですね。私の息子も走りたいと言っていますが、彼にはブレードが必要です。あなたはどうやって手に入れたんですか?」と聞いてきました。私はスポンサーからもらいました、彼らが私に才能があると思ったからです。しかしその時感じたのです、誰もがスポーツができるべきである、すべての子供もと…。しかしブレードの購入はかなり難しいのです。そこで私たちは「プロジェクト・ブレード」を立ち上げました。ブレードやスポーツに必要なものが、他の子供たちと同じようにアクセサブルにするプロジェクトです。OttobockのブレードとNikeのショップをつなげることで、お店に来た子が、ブレードやシューズ、さらに専門家のエキスパートのアドバイスなどがもらえるようにしました。福祉の領域から脱して、スポーツと楽しみだけの要素にしました。子供たちは今すぐ走れるブレードを持ってお店を出ることができるのです。さらに我々はランニングクラブも主催して、友達と参加できます。健常者障害者関係なく、共にスポーツを楽しめるのです。というのも、結局わたしたちは人間ですから、遊びたいし、楽しいことがしたい。ある人はブレードが必要で、ある人はシューズが必要なだけ。スポーツへのアクセスをできる限りシンプルにしているだけなんです。
木下舞耶: ブレードとシューズを買うことを同じ購買体験と捉えたことはありませんでした。
マールー・ファン・ライン: 始まりはいつもショップですよね。ショップに行き必要な道具を得る。それを全員に可能にしようと思いました。それによって全員が平等だと感じられると思います。実はそんなに特別なことではありません。外に出て走るだけのことですよ。
木下舞耶: 子供が走るだけのことで特別扱いされたくないですよね。
ロサンジェルス2028年の時にはより巨大なパラリンピックムーブメントが期待できる
木下舞耶: さて、クレイグさん。未来のパラリンピックはどうなると考えていますか?どう社会に衝撃を与えるでしょう。
クレイグ・スペンス: 私は未来は非常に明るいと考えています。東京2020にとても期待しているし、すべてのスポンサーがパラリンピックの権利をすでに行使し始めていて、これは今までの大会では見られなかったことです羽田空港ではパラリンピックのマスコットキャラで迎えられ、トヨタのタクシーはバラリンピックのロゴが付いています。日本ではすでに多くの人口が代表選手たちを認知しています。ロンドンではパラリンピック競技者の名前を言える人は人口の1%以下でしたが、ロンドン大会の後に30%の人がパラアスリートを5人知っている状態に改善。東京では(大会前なのに)85%の人がすでに名前を言えるのです。すでにロンドンより良い兆候があるのが明らかです。パラリンピックは日本の物事を変えつつもあります。ホテルのアクセシビリティの問題がありました、障害のある人は基本旅行しませんから。そこで我々は障害者が利用しやすいホテルを建設するために条例を変える働きかけをしました。もっと長い目で見れば、LA2028の時にはより巨大なパラリンピックムーブメントが期待できます。ロンドンパラでは成功を納めましたが、アメリカの市場をブレイクスルーしたとは言えませんでした。だから私は先週アメリカで運営委員会と会ってきました。LA大会の効果を最大限にして大きな成功をもたらしたいのです。なぜならアメリカに社会変革をもたらすことができれば、障害者への見方は本当に変わるでしょうから。
木下舞耶: 東京がそのステージの良き前例になるよう祈っています。
クレイグ・スペンス: その通りです。東京が水準を上げ、もちろんパリが水準を上げ、ロサンゼルスは想像もしなかったような結果になりますよ。
木下舞耶: 最後に、マールーさん。広告に携わる、クリエイティブ産業の人々が将来どのようにパラリンピック・インパクトに貢献できると思いますか
マールー・ファン・ライン: 広告をつくる人、ストーリーを伝え、ビジュアルをつくる人たちには本当に世界を変える力があります。例えば私たちは組織を管理して、基金を立てますが、そのストーリーをどう伝えるか、人々がそれで平等だと感じられるか、スポーツは楽しいと感じるか、そして願わくば、パラリンピック・ムーブメントを面白いと感じるかは広告次第です。
木下舞耶: ありがとうございます。クレイグさん、マールーさん、力強い事実と印象深いストーリーをありがとうございました。マールーさん、あなたは東京2020に向けてここの会場の2000人がサポーターになってくれたことでしょう。クレイグさんにはインスタグラムのフォロワーですかね。(笑)
クリエイティブ産業の人々がどのようにパラリンピック・インパクトに貢献できるか?
木下舞耶: 新しい視点にたつことでインスパイアされ、行動に変えていく。それは変化の始まりなのです。パラリンピック・インパクトは今この場所から私たち一人一人に始まっています。
東京2020の一員として、我々電通は様々なプロジェクトに関わりパラリンピックインパクトを強化して拡大していきます。そのプロジェクトの一つはクレイグさんがさきほど紹介していた、マールーさんもエリーさんも登場するWOWOWドキュメンタリー「Who I Am.」です。我々はまた、JP GamesのCEOでありFinal Fantasy XVのディレクターでもあるー私もファンの1人であるー田畑端さんと協業できることも楽しみにしています。彼は実はこの会場に来ています…えーと、ああ、そこにいますね。写真を撮りたい人は彼のところに行ってください。私たちは「The Pegasus Dream Tour」というスポーツのファンタジーRPGの開発を共にしています。世界初のパラリンピック公式のゲームです。この商品のローンチは新しくより若いオーディエンスに、より身近な視点をもって届くことでしょう。
困難を克服し可能性を創造するために努力している人々
木下舞耶: パラリンピックでは、困難を克服し可能性を創造するために努力している人々がいる。お互いを理解するという強さが生まれる。不可能を可能にする技術革新がある。パラリンピックには、クレイグさんが言ったように、人類が前進するための全てのチャンスと可能性が内包されているのです。パラリンピックの成功がまさに、人間の能力、社会構造、日常に関するこれまでの常識を覆すでしょう。私たちは、未来はパラリンピックにあると信じています。
現代の社会は今、古い社会の構造と戦っています。一部の人類を受け入れなかったり、認めなかったりする常識や制度に。性別や人種、セクシュアリティなどの平等のためのパワフルなソーシャルムーブメントは、社会に少しずつ変化をもたらしています。より多くの人が潜在的可能性を達成できるようになります。そして今日、パラリンピック・ムーブメントが先導し、人類は次の大きな一歩を踏み出していくでしょう。
この世に、クリエイティビティなしで解決できる物事は存在しない
木下舞耶: 最後に、広告業界は現代社会を変えるためにどのような役割を担えるか、考えてみましょう。私たちは、エージェンシーの役割とは、ただ課題に答えを出すということよりも大きいと信じています。クリエイティビティは、課題を発見し立ち向かい、そしてソリューションを生み出すことに使われるべきです。今取り組んでいる仕事が、ビジネス的成功以上に、人類を一歩前に進めることに貢献するかどうか。そんな高い視座を持つことで、エージェンシーの役割は再定義できます。
コピーライターだろうがクリエイティブディレクターだろうが、エグゼクティブ・クリエイティブディレクターだろうが、インターンだろうが、私たち全員がこの世界をより良い場所にするスーパーパワーを持っています。このスーパーパワーがクリエイティビティと呼ばれるものです。なぜならこの世界に、クリエイティビティが解決できないことはないのですから。ありがとうございました。
木下舞耶(株式会社電通 プランナー)
米国生まれ関西育ちのアメリ関西人。エマーソン大学卒業後、2012年電通入社。クリエーティブ局にてコピーライティングやCMプランニングを経験し、PRソリューション局へ。PR視点を取り入れたクリエイティブソリューションの開発やダイバーシティをテーマとしたプランニングを得意とする。
Cannes Lions、One Show、グッドデザイン賞、CMヒットメーカーランキング2019トップ10(CM総研)など受賞。
記者:エシカちゃん
白金出身、青山勤務2年目のZ世代です。流行に敏感で、おいしいものに目がなく、フットワークの軽い今ドキの24歳。そんな彼女の視点から、今一度、さまざまな社会課題に目を向け、その解決に向けた取り組みを理解し、誰もが共感しやすい言葉で、個人と世界のサステナビリティーを提案していこうと思います。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp