「私によくて、世界にイイ」が実現できる、エシカルな暮らし・食のカタチってなんだろう。仕事に家事に育児に…日々生活を回すだけでも大変な私たちにとって、新しく行動を起こすのはエネルギーも時間も使うし、ハードルが高く感じてしまうもの。
でも日々の暮らし、一日三度のごはんを、少しでも”良い”ものにできたら?
当たり前の毎日のなかで、大切な家族も、世界も、そして私自身もほんのちょっぴり幸せになるような選択をしていけたらいいなと思うのです。
酵素玄米と白米のおむすび
「私によくて、世界にイイ」が実現できる、エシカルな暮らし・食のカタチってなんだろう。仕事に家事に育児に…日々生活を回すだけでも大変な私たちにとって、新しく行動を起こすのはエネルギーも時間も使うし、ハードルが高く感じてしまうもの。
でも日々の暮らし、一日三度のごはんを、少しでも”良い”ものにできたら?
当たり前の毎日のなかで、大切な家族も、世界も、そして私自身もほんのちょっぴり幸せになるような選択をしていけたらいいなと思うのです。
リュックを背負ってピクニック
第7話では「食品ロス」について、暮らしのなかでできる工夫をお話しました。
「Food」カテゴリー最終話となる今回は、これまでの話を振り返りつつ、私にとっての「いい塩梅」な食のカタチについてお伝えできればと思います。
自身のアトピーをきっかけに食に関心を持ち、「食べたもので体はできている」という言葉に出会ってから、日々口にする食べ物をできるだけオーガニックで自然な形で作られたものを選んだり、動物性の食品を控えたりするなど「何を、どう食べるか」を意識するようになりました。
食べものによって体調や体質が変化していくことを実感したこと、
食品ロスの問題を目の当たりにしたことで、その後は食にまつわる問題へと関心が広がります。
今の食のあり方は持続可能でないことを知り、暮らしのなかでできることはないかと工夫するようになりました。
・不自然な原料や製造方法を経たものでないか
・生産から消費のプロセスで環境に大きな負荷がないか
・作り手も食べ手にも有益なものか
小さなことですが、消費者である私たちがどのような選択をするか、その小さな積み重ねによって少しずつ未来は変えることができるのです。
畑の白菜
一方で食にまつわる情報は多様です。あるところでは「良い」とされていたものも、別のところでは「悪い」とされていたりします。
自分や家族のため、環境のためにより良いものをと考えれば考えるほど、結局何が「いい」のかわからなくなってしまったり、毎日のごはんとなると、家族の同意を得ることが難しかったり、、
悩んでしまって負担になることも少なくないと思います。
今でこそ「いい塩梅」を心がけるようになりましたが、
「こうあるべき」にとらわれてしまっていた時期もありました。
いろんな情報を知れば知るほど、そこで悪いと認識したことは避けたり否定したり、
その選択をする相手を受け入れることができなかったり、、
外食に行った時など、何を食べたいか以上に何を食べたほうがいいのかな…という考えが頭をよぎり食事そのものを素直に楽しめず、自分の思いと違うものを食べた時には罪悪感すら感じていました。
これって本当に自分が目指していたカタチなのだろうか。
ストイックに取り組んでいたこの先にある未来は、私にとっては持続可能じゃないなと感じ、自分や家族にとって無理のないあり方を模索するようになりました。
米粉、甘酒、豆乳のパンケーキ
そのようななかで出会った「ハレとケ」の考え方。
日本人が古来より大切にしてきた伝統的な世界観のひとつで、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを日常と非日常ではっきりと使い分けていました。
質素倹約なケの日と贅沢を楽しむハレの日。そのようにメリハリある生活によって、心身の健康と自然環境に無理のない、理にかなった生き方をしていたのではないかと思います。
今はいつでもどこでも手軽に欲しいものが手に入ります。
食のグローバル化は暮らしの便利さを生んだ一方で、それぞれの土地に根ざし気候風土に適した日本の食文化からは大きく離れていってしまいました。
お肉や精製された小麦、砂糖、油をたくさん使う西洋的な食のスタイルは、長い年月お米や野菜が中心の食生活を送っていた日本人の体にとっては消化の負担が大きく、またその材料の多くは輸入に頼っており、環境にも大きな負荷を与えてしまっています。
発酵食品をはじめ、その土地にあるものを活かし自然のリズムに沿って無理のない形で受け継がれてきた日本の食を暮らしの中に取り入れることは、毎日がハレの日のような今のライフスタイルを見直すきっかけになるように思います。
一汁一菜のケの日のごはんを基本に、時にはご馳走をめいっぱい楽しむ。
「ハレとケ」の考え方は、日本の食文化を見直しつつ、今の時代にもそれぞれの暮らしに合った形で応用できるところに魅力を感じました。
一汁一菜
「塩梅(あんばい)」とは、もともと食酢が無い時代に梅酢(梅を塩に漬けた時にできる酢)と塩を合わせて料理に使っていた際、塩と梅酢の配合加減や加える量で味を変えて工夫していたことから、その加減がちょうどいいことを「いい塩梅だ」と表現していたことが由来とされています。
料理の味加減をはじめ、物事の具合や調子、また体の具合や健康状態を表す言葉としても使われるようになりました。
塩梅
その感じ方、「ちょうど良さ」は人それぞれ。
特定のものを人にとっての善悪や優劣で「食べる」か「食べない」かと対立させる考え方は、一見わかりやすく効率的に考えられますが、一方で価値観の異なる人との対立を生み、分断させてしまう危うさも抱えています。
「ハレとケ」のように、相反する二つの価値観を、けじめをつけて区別し使い分けつつも、矛盾や曖昧さをそのまま包括し間を取り持つ日本の伝統的な価値観。
「いい塩梅」には、単なる「バランス」とは異なる調和的な意味が込められているように感じています。
ヴィーガンハンバーグ
何をどのように食べるかは、一人ひとりの価値観や感覚、心身の状態に大きく影響を受けるものです。
インスタントラーメンを食べても風邪知らずで調子が良い人がいれば、スナック菓子を食べると肌荒れしやすい人もいる。
同じファーストフードでも、ある人にとっては忙しい時にゆとりを作ってくれる「いい食べ物」、ある人にとってはただ体に悪いだけの「よくない食べ物」。
栄養いっぱいの玄米も、冬は美味しく感じるけれど夏はなかなか喉を通らない日も。
辛いことがあった時は、大好きなものさえ口にしたくなくなる、、。
食べものには、栄養学的な数値や効果だけでは測れない側面がたくさんあると思います。
自分自身の体調や、その食べ物が作られる背景に目を向けて、そこに向き合うことこそが大切なのではないでしょうか。
意味を理解したうえで、実際の暮らしのなかではそれぞれが心地よくいられるカタチ(スタイル)にアレンジしてもいい。
無理して我慢してお互いしんどい思いをしながら食べるごはんよりも、たまには好きなものを食べたり、外食や加工食品に頼ってでも家族や友人、パートナーと楽しく過ごせる時間がある方が、日々の生活も心も豊かになるように思うのです。
自分のなかに基準ができたことで、
以前より肩の力を抜いて少し楽に過ごせるようになりました。
自分にとっての「良い」をこだわりつつも、今は大切な人や私がごきげんに過ごせることを一番大事にしたいと考えています。
私自身のため、家族のため、地球環境のために大切にしたいこと
相手が大切にしていること。
いろんな思いが重なるところに、まずは自分や大切な人の笑顔があるか。
そこに「いい塩梅」な食のカタチ、そして「いい塩梅」に暮らすヒントがあるのではないかと考えています。
季子(キコ)
一児の母親。高校生のころ「食べたもので体はできている」という言葉と出会い食生活を見直したことで、長い付き合いだったアトピーが大きく改善。その体験をきっかけに食を取り巻く問題へと関心が広がり、大学では環境社会学を専攻する。
産後一年間の育休を経て職場復帰。あわただしい日々のなかでも気軽に取り入れられる、私にとっても家族にとっても、地球にとっても無理のない「いい塩梅」な生き方を模索中。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp
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