本記事は、パリでファッションを学び、モデルとして活躍する国木田彩良さんに、日本の女性たちのエンパワーメントを目指し、ファッションの歴史を紐解きながら、セクシャリティやジェンダーの問題について、フランクに語っていただく連載コラムの第2回です。
ファッションの起源
——今回は、ファッションの歴史を古い時代からたどっていきたいと思います。時間が限られますので、ヨーロッパ、主にフランスの歴史を概観するようなかたちでお話をうかがえればと思います。
ファッションとは、自分をどういう風に見せたいか、どんな人間に見られたいか、の表れです。そして、誰に対して、と言えば、概ね異性に対して、です。極論を言ってしまえば、ファッションはセックスアピール、日本語の「モテ」のためにあるものなんですよね。もし女性だけの社会だったら、現代のようなファッションは存在しないと思います。
人間が衣類をまとうようになるのは、羞恥心よりも、おそらくは身体の保護という実用面からだったと思います。けれど、かなり早い段階から、まったく実用とは関係ない装飾の要素が取り入れられていきます。
そしてルネサンスの頃に、まず男性が、権力や財力の誇示のために着飾るようになります。続いて、彼らのステータスとして、いわば所有物として、彼らの夫人や愛人が着飾ることになります。
それまで男性たちが身につけていたアクセサリーが、徐々に女性に移行していくのですが、男性の服装が機動的になる分、女性そのものがアクセサリー化していった、とも言えます。実際、女性のファッションがきらびやかになるに従って、女性の政治への影響力は弱まっていくんです。これが大体ヴェルサイユの時代の頃の話ですね。
ココ・シャネルの功績
——前回、国木田さんが「ファッションは、女性たちを幸福にも不幸にもした」とおっしゃっていた意味がだんだんと分かってきました。当時の華やかなファッションは、女性たちが楽しんでいた以上に、男性側の満足に作用していたということですね。
コルセットや大きなドレスは、自分一人では脱げない服、走れない服です。ファッションによって、女性たちの身体は拘束され、行動を制限されました。そこには当然、男性たちの理想が反映されています。従順で、か弱い女性のイメージです。日本の着物も同じかも知れません。遊女が着物の帯を身体の前で締めるのは、合理的な理由が大きいと思います。
大きな転換点となるのは、CHANEL(シャネル)の創業者であるココ・シャネル(1883-1971)の登場です。19世紀になると、フランスに最初のメゾンが現れ、20世紀にココ・シャネルが自分のブティックを開業します。女性に求められてきた従来のイメージを覆し、新しいエレガンスを提示したシャネルの功績は、ファッション史上、非常に大きいと言えるでしょう。
シャネルは、メンテナンスが大変で、着用中も姿勢に気を遣わなければならなかった生地を実用的なものに変え、フェイク素材を柔軟に取り入れ、女性の身体のラインが目立たないスタイルを提案しました。高級素材のステータスや男性好みのセクシーさを主張するよりも、女性の内面の魅力を引き出すファッションを目指したんです。
今でこそCHANELは高級ブランドとしての地位を確立していますが、シャネル本人は、フランスの片田舎の貧しい家庭に生まれ、若い頃は、縫製の仕事の傍ら、キャバレーで歌って生計を立てていました。経済力のある恋人−−今風に言えば「パパ」ですね(笑)−−と出会ってチャンスを掴み、自身の美学を貫きながら、努力と才能で成功を勝ち取った、強い女性なんです。
戦後のファッションと女性像
——人々の願望がファッションに具現化され、またファッションによって新しい時代の女性像が提示される。とても興味深いですね。他に20世紀のファッションで、パラダイムシフトとなったような事例はありますか?
戦後のファッションは、コマーシャリズムと結びついているので、多角的に見ていく必要がありますが、その複雑さが面白いですね。
たとえば、60年代にミニスカートやデニムが流行します。シャネルが目指した方向性とは別のベクトルで、新たに活発な女性像を打ち出しました。センセーショナルだったのは、それまで女性のボトムスではサイドにあったジッパーが、男性と同じように真正面に来たこと。前開きのジーンズを最初に履いた女性が、マリリン・モンロー(1926-62)だと言われています。
そして80年代には、男性の衣服についていた肩パッドが女性のファッションにも取り入れられます。女性が、男性と同じ物を身に着けたことは非常に象徴的です。これは、当時の女性の社会進出にも結びついていると思います。
こうした流れの中で見ていくと、現代のファッションは、女性用/男性用という区分が、徐々に無くなってきていると思います。女性がスーツを着るし、男性がドレスを着ることもあります。男女というものに対する意識が、変わってきていると感じます。
VALENTINO(ヴァレンティノ)は、2008年にクリエイティブ・ディレクターに就任したマリア・グラツィア・キウリとピエールパオロ・ピッチョーリのコンビによって大成功を収めましたが、この二人のデザインは、ロマンティックな部分とロックな部分を持ち合わせていました。
興味深いのは、2016年にキウリがDior(ディオール)に移籍して長年のコンビが解消されたことで、実は女性であるキウリのデザインの方がロックな資質をもち、男性であるピッチョーリのデザインの方がロマンティックな部分を形成していたことがわかったことです。
——ファッションの歴史を見ていくと、その時代その時代の「女性らしさ」「男性らしさ」が見えてきますね。次回は、今日のお話を踏まえて、日本の歴史を見てみたいと思います。
国木田彩良/Saila Kunikida
1993年、イギリス・ロンドン生まれ。フランス・パリで育ち、高校卒業後に服飾の名門スタジオ・ベルソーでファッションの歴史、デザイン、マーケティングを学ぶ。日本人の母とイタリア人の父を持ち、明治時代の小説家・国木田独歩の玄孫にあたる。
自身のルーツである日本に興味を持ち2014年単身来日、モデル活動を開始。2015年、三越伊勢丹の企業広告「this is japan」のイメージビジュアルに登場し注目を集める。国内外のハイファッション誌を中心に活動の傍ら、パリで形成された感性と日本で暮らす中で見えてきたことを発信していこうとSDGsに携わりながら、主にフェミニズムに関するトークショーに参加したり文章書いたりするなど活動の幅を広げている。
聞き手:ethica編集長 大谷賢太郎
あらゆる業種の大手企業に対するマーケティングやデジタルの相談業務を数多く経験後、2012年12月に『一見さんお断り』をモットーとする、クリエイティブ・エージェンシー「株式会社トランスメディア」を創業。2013年9月に投資育成事業として、webマガジン「ethica(エシカ)」をグランドオープン。2017年1月に業務拡大に伴いデジタル・エージェンシー「株式会社トランスメディア・デジタル」を創業。2018年6月に文化事業・映像事業を目的に3社目となる「株式会社トランスメディア・クリエイターズ」を創業。
創業8期目に入り「BRAND STUDIO」事業を牽引、webマガジン『ethica(エシカ)』の運営ノウハウとアセットを軸に、webマガジンの立ち上げや運営支援など、企業の課題解決を図る統合マーケティングサービスを展開。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp