本記事は、あらゆる女性のエンパワーメントを目指し、モデルとして国際的に活躍する国木田彩良さんに、ファッションの歴史を紐解きながら、セクシャリティやジェンダーの問題について、フランクに語っていただく連載コラムの第5回です。
日本に来てわかったこと、変わったこと
——長くフランスで生活されていた国木田さんには、現代の日本社会の矛盾や弱点が、よりはっきりと見えているように思います。
カルチャーショックを受けるというのは、とても大切な経験だと思います。自分にとって、それまで当たり前だったことが、そうではないことに気付けるのですから。私がセクシャリティやジェンダーについて、深く考えるようになったのは、日本に来てからです。私の考える「女性らしさ」——「セクシャル」や「センシュアル」と言った方が正しいかも知れません——と日本人の「女性らしさ」には、大きな開きがありました。
国が違えば、恋愛観も家族のあり方も違います。もちろん同じ人間ですので、根本の部分——愛を求め、子を授かり、家庭を築く——は一緒だと思っていますが、その周縁は国によってまるで違いました。
言語の違いもあると思います。フランス語は語彙が豊富で、ひとつひとつの言葉の意味や用法がシャープです。対して日本語は、ひとつの言葉がいくつもの意味を持っていたり、指し示すものが曖昧だったりします。文法も、日本語は最後まで聞かないと、話の主旨が見えません。日常的に「空気を読む」ことが求められるのでしょうね。
日本人のそうした価値観や思考の傾向には、良い面と悪い面があると思います。私自身、日本の文化から大いに影響を受けました。日本に来て、以前より我慢強くなりましたし、他人のことを考えられるようになりました。人として成長できたと思っています。
セクシャリティとは、人と人をつなぐもの
——「女性らしい」という言葉の用い方、受け取り方は、人によってかなり差があると思います。私たちメディアも、慎重に用いるべき言葉だと思いますが、国木田さんの考える「女性らしさ」あるいは「セクシャリティ」について、もう少しお聞かせいただけますか。
セクシャリティとは「人と人をつなぐもの」だと私は思っています。本来は生殖が前提となっているものですが、現代の私たちは、子供を授かるためだけにセックスをするわけではありません。多様な恋愛があり、いろんな家族のかたちがあります。
異性へのアピールのために存在してきたファッションが、いま徐々にジェンダーレスな方向に進んでいるのも、そうしたセクシャリティに対する人々の意識の変化を受けてのことだと思います。
ただ、そうした世界の動向から、日本はだいぶ遅れていると思います。欧米人は、人を愛することに対して自由で積極的ですが、日本人は自分の気持ちよりも前に、「こうあるべき」という制度や慣習に縛られていると感じます。日本でシングルマザーが生活しづらいのも、男性が働き女性が子育てをするのが圧倒的なスタンダードだからでしょう。
こうした性に対する意識は、中絶や婚外子の法律の問題、卵子凍結や代理母出産などの技術導入にも関わってくることだろうと思います。医療的な観点や倫理的な観点から、賛否があるのは当然ですが、より多くの選択肢があり、本人の意志で選べる、ということが望ましいと私は思っています。日本では女性の生き方の選択肢がまだまだ少ないです。選択肢が少ないと、人はそれだけ追い詰められてしまいますから。
もしかしたら、日本人はあまり自分の感情について他人と話さないので、人間の感情の働きについて深く考察する機会を得ないまま、恋愛や結婚をどこか形式的にとらえてしまうのかも知れませんね。人を愛するって、自分という核が大きく揺らいで、心身ともにすり減るので、たしかに既存のルールに則った方が楽なのかも知れません。
ただ、その揺らぎが人を変えていくんです。愛とは何か、セクシャリティとは何か、人と人とのつながりとは何か。これらは各自の経験と内省の中で学んでいくものだと思っています。
恋をして変わることができた
——国木田さんの中で、ご自身が変わったと思われるターニングポイントはありますか?
私は18歳のときに、ある人との出会いを通じて大きく変わりました。人と人とは、こんなにも精神的に深い部分でつながれるのだということを、知ることができたんです。10代の頃の私の周りには、家柄や財力で人を評価するような人たちがいて、私も、この社会ではそうしたステータスが重要なのだと思っていました。けれど、その人は違ったんです。かなり自分勝手な人でしたけれど、それだけ自分のことを真剣に考えている人でもありました。
次の大きなターニングポイントは日本に来たときです。日本に来て、私は恵まれた家系に生まれ育ち、同種の人々のコミュニティの中で守られていたのだと気づくことができました。単身日本に来て、頼れる身内もいなくて、自分のアイデンティティが大きく揺らいだんです。それまでの自分のアイデンティティが、いかに家系や資産に依拠していて、周囲の人々によってつくられたイメージで成り立っていたのかわかりました。モデルの仕事が軌道に乗るまで、かなり逼迫していたのですけれど、その時期に、いわゆるたたき上げの人たちと交流できたのは、私の人生にとって、とても幸運なことでした。
——かなりプライベートなお話までうかがってしまいましたが、同世代の読者にとっては、国木田さんがより身近に感じられるエピソードだったと思います。シリーズタイトルの「It can be changed」という言葉も、国木田さんご自身の経験に基づいているものとわかると、より説得力を持ってきますね。
国木田彩良/Saila Kunikida
1993年、イギリス・ロンドン生まれ。フランス・パリで育ち、高校卒業後に服飾の名門スタジオ・ベルソーでファッションの歴史、デザイン、マーケティングを学ぶ。日本人の母とイタリア人の父を持ち、明治時代の小説家・国木田独歩の玄孫にあたる。
自身のルーツである日本に興味を持ち2014年単身来日、モデル活動を開始。2015年、三越伊勢丹の企業広告「this is japan」のイメージビジュアルに登場し注目を集める。国内外のハイファッション誌を中心に活動の傍ら、パリで形成された感性と日本で暮らす中で見えてきたことを発信していこうとSDGsに携わりながら、主にフェミニズムに関するトークショーに参加したり文章書いたりするなど活動の幅を広げている。
聞き手:ethica編集長 大谷賢太郎
あらゆる業種の大手企業に対するマーケティングやデジタルの相談業務を数多く経験後、2012年12月に『一見さんお断り』をモットーとする、クリエイティブ・エージェンシー「株式会社トランスメディア」を創業。2013年9月に投資育成事業として、webマガジン「ethica(エシカ)」をグランドオープン。2017年1月に業務拡大に伴いデジタル・エージェンシー「株式会社トランスメディア・デジタル」を創業。2018年6月に文化事業・映像事業を目的に3社目となる「株式会社トランスメディア・クリエイターズ」を創業。
創業8期目に入り「BRAND STUDIO」事業を牽引、webマガジン『ethica(エシカ)』の運営ノウハウとアセットを軸に、webマガジンの立ち上げや運営支援など、企業の課題解決を図る統合マーケティングサービスを展開。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp