「夫婦っておもしろいばかりに大変で、大変だからこそおもしろい」。
― コミュニケーションが夫婦単位になると、とたんに難しくなるのはなぜですか?
やましたさん:それは、お互いに思いをちゃんと伝えてないからですね。いつも一緒にいるからこそ、黙っていても伝わるという思い込みに甘んじている。一緒にいるにも関わらずなかなか伝わらないから、よけいストレスになるんです。
― 夫婦関係は大変だけれども、だからこそ夫婦でいる意義がある、と言えることとは?
やましたさん:大変=困難ではなく、「大変だからこそおもしろい」と思えた時に、本当におもしろくなる。もし自分が子どもで、お父さんとお母さんが喧嘩している場にいたらイヤでしょ?でも少し大きくなると、離れたところから「ケンカしてるけど自分には関係ないや」って客観的に言えるようになる。俯瞰的だとさらに位置取りが変わって、「そうか、こういう流れでフキゲンになってケンカになったのか。夫婦だから仕方ないね、やれやれ~!」と、おもしろがれる。客観的だと自分とは関係ないという断絶が生まれるけれど、俯瞰的は違う。
自分が当事者でありながら、今起きている現象をどう視点を変えておもしろがれるか。そこに夫婦でいることのおもしろさがあると思います。
― ひとりでケンカして俯瞰することは出来ないですもんね。最後に、「夫婦の断捨離」の一言PRをお願いいたします。
やましたさん:結婚は、実はモノとの関係と一緒。「もったいないからとっておく」と「せっかく結婚したんだから一緒にいる」は同じこと。モノでさえ捨てるのが大変だから、結婚を捨てるなんてもってのほか。でもそれは執着以外の何ものでもない。添い遂げることを目標にすると結婚生活が虚しくなりますよ。最後死ぬときに、「添い遂げたね~」と言える関係のほうがすてき。
夫婦というのは、15年くらい一緒にいるとだんだんずれてくるもの。その差はよほどのことがない限り埋められない。その現実を認めた上で何を選択決断し、どう築いていくか、ということなのだと思います。やはり「夫婦っておもしろいばかりに大変で、大変だからこそおもしろい」に尽きますね!
― 夫婦って本当におもしろい、でも、やっぱり大変です (笑) やましたさん、本当にありがとうございました!