20年以上、トップモデルとして活躍。究極の美の世界で生きてきた冨永愛さん。ランウェイを歩くその一瞬のために、美を磨き続けてきた。それは、外見だけではない。生き方、生き様をも投影する内側からの輝きがなければ、人々を魅了することはできない。「美しい人」冨永愛さんが語る、「“私(美容・健康)に良くて、世界(環境・社会)にイイ”」とは?
プロローグ
10代で海外コレクションに彗星のように現れ、ランウェイを颯爽と闊歩した。出産、休業を経てなおその圧倒的な存在感で、ファッションの世界はもちろん、社会貢献活動などにも力を尽くすーー。今さら「モデル冨永愛」の多くを説明する必要はないだろう。
しかし、世界に出る前の冨永さんは、ごくごく普通の少女だった。天賦のスタイルをのぞいては。近著『冨永愛 美の法則』には、当時の自分をこう振り返っている。
「多くの女の子は、子どものころから『かわいい』ことに執着する。(略)でも私ときたら、まるで逆。(略)顔も『かわいい』とは程遠いし、性格は地味だし、ファッションにもさほど興味がなく、女の子っぽい服装とも無縁だった。そんな自分が大嫌いで、いつもコンプレックスに押しつぶされそうだった」(『冨永愛 美の法則』より抜粋)
このころのことを改めて冨永さんに聞くと、「うーん……」と少し思いを巡らせ、「正直、あまり覚えてないんですよね」と笑う。
「若いときは自分が生きている世界がすべてみたいに縛られてしまうから、周りと比べてつらいことはありました。強烈なコンプレックスはやがて怒りに変わり、私はその怒りをエネルギーに世界を目指していくわけだけど、それはつらい経験があったおかげだったと捉えることもできる。ちょっと美化してるかもしれないけど」
キャリアのスタートは、姉に勧められて始めた雑誌の読者モデル。しかし、長い手足は既製服からはみ出した。コンプレックスを克服したくて始めたモデル。なのに、コンプレックスをさらに深めることに。「そんな日々だったので、将来モデルになろうとか、ましてや世界を目指そうなんて気持ちはまったくなかった。バイト感覚でしたね」
ある日、テレビから流れてきた映像に冨永さんは釘付けになる。日本のファッションジャーナリストの先駆け、大内順子さんがナビゲートする情報番組「ファッション通信」。画面にはドルチェ&ガッバーナのショーが流れていた。服、モデルのウォーキング、絶え間なく光るカメラのフラッシュ……。すべてが見たことのない美しさにあふれていた。
「自分もここに立ちたい。絶対にこのショーに出る!ーー。心が動いた瞬間でした」
その後、東京コレクションに挑戦。周りの勧めもあり、冨永さんは世界に飛び出す。
「英語もまったくわからない。知ってるのなんてThis is a penぐらい(笑)」。まさに身ひとつでの挑戦。何が冨永さんを突き動かしたのだろうか?
「コンプレックスも怒りもあったけど、それも含めて、若さ、かな。若いから物事を深く考えていなかった。だからこそ突っ走れた。だからこそ飛び込む勇気があった。大人になると『こうするとこうなる』と予測ができるようになって、二の足を踏んだり回避しようとしたりするけど、若くて経験も知識もないから、いい意味で無鉄砲だったんだと思う」
高校卒業目前、NYコレクションのラルフ・ローレンのショーに抜擢されたのを皮切りに、冨永さんは次々と海外コレクションのショーに出演を果たす。冨永さんが日本で見ていた世界は、まさにグルンと180度逆転した。そこにあったのは、それまで生きてきた世界とはまったく違う価値観。
「背が高いことも、真っ黒なストレートヘアも、周囲には『怖い』とか『生意気』と言われた顔立ちも、負けん気の強さもオセロの石が黒から白へ一度に全部ひっくり返されるように、すべて武器になった。『かわいい』の呪縛から、やっと解放されたのだ」(『冨永愛 美の法則』より抜粋)
冨永さんは、しかし、「私が特別ではない」と言う。
「誰しもが若いころは同じように悩む。成長し、経験を重ね、思い切って一歩を踏み出すことで、世界は広いこと、世の中には多様な価値観が存在していること、そして、コンプレックスが転じて魅力や個性になりうることに気づくことができる。そう思うのです」
センセーショナルにデビューしてから、キャリアはすでに23年。まもなく40代を迎えようとしている。「時間が勝手に過ぎていってる感じ。気持ちはまだまだ20代後半ですけどね」と笑い、こう続ける。
「年齢も、そこからくる衰えも、ポジティブに受け入れるしかない。その上で努力する。年齢なりの自分なりの美しさ、そして楽しさを追い求めていきたいですね」と笑顔を見せる。
ファッションモデルとして第一線で活躍しながら、女優としてドラマに出演したり、環境や社会問題に取り組み、それを世間に提起したりするなど、冨永さんは自分に制限をかけることなく、また、求められる役割を果たすべく、たおやかに美しく輝き続けている。
連載「美しい人」では、これまでのキャリア、経験、人生を通じ、冨永愛さんが考える「美」、実践する「美」、自分らしい「美」を紐解いていく。
「美しい人」が語る「美しく生きること」とは?
<撮影協力>
・フォトグラファー:ITARU HIRAMA
・スタイリスト:SOHEI YOSHIDA (SIGNO)
・メイク:Mio (SIGNO)
・協力:UNDER GROUND
・コーディネーション:TRANSMEDIA Co.,Ltd
<商品に関するお問い合わせ>
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冨永愛
17歳でNYコレクションにてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルの他、テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティなど様々な分野にも精力的に挑戦。日本人として唯一無二のキャリアを持つスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を国内外に伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。2019年秋、TBSドラマ日曜劇場「グランメゾン東京」では主要キャストとして抜擢、女優としても活躍。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、エシカルライフスタイルSDGs アンバサダー(消費者庁)
初翻訳となる女の子を応援する絵本『女の子はなんでもできる!』(早川書房)が楽天ブックスで 1 位(外国の絵本部門2020年11月24日~11月25日)となり、絵本としては異例のスピードで重版が決まり、読みやすく、元気になる言葉は、子どもからも評判を得ている。原題は”Girls Can Do Anything”(文:キャリル・ハート 絵:アリー・パイ)
冨永愛さんによる読み聞かせ動画はこちらから https://youtu.be/bMJrWM-xpfw
文・中津海麻子
慶応義塾大学法学部政治学科卒。朝日新聞契約ライター、編集プロダクションなどを経てフリーランスに。人物インタビュー、食、ワイン、日本酒、本、音楽、アンチエイジングなどの取材記事を、新聞、雑誌、ウェブマガジンに寄稿。主な媒体は、朝日新聞、朝日新聞デジタル&w、週刊朝日、AERAムック、ワイン王国、JALカード会員誌AGORA、「ethica(エシカ)~私によくて、世界にイイ。~ 」など。大のワンコ好き。
構成・大谷賢太郎
あらゆる業種の大手企業に対するマーケティングやデジタルの相談業務を数多く経験後、2012年12月に『一見さんお断り』をモットーとする、クリエイティブ・エージェンシー「株式会社トランスメディア」を創業。2013年9月に投資育成事業として、webマガジン「ethica(エシカ)」をグランドオープン。2017年1月に業務拡大に伴いデジタル・エージェンシー「株式会社トランスメディア・デジタル」を創業。2018年6月に文化事業・映像事業を目的に3社目となる「株式会社トランスメディア・クリエイターズ」を創業。
創業9期目に入り「BRAND STUDIO」事業を牽引、webマガジン『ethica(エシカ)』の運営ノウハウとアセットを軸に、webマガジンの立ち上げや運営支援など、企業の課題解決を図る統合マーケティングサービスを展開中。
「冨永愛 美の法則」(ダイヤモンド社)概要
世界的トップモデル冨永愛のランウェイで学び得た「美しい人になる習慣」。究極の美肌術、ボディメイク、美しい歩き方、食べ方、仕事、セックス、美の哲学ほか、アジアを代表するスーパーモデルのビューティーライフ。20年間、パリコレをはじめ、世界最高の美の価値観に触れてきた著者だからこそ話せる「美の法則」。
詳しくはこちらから
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp