構想から3年後に実現した映画化
「普段は忙しくて、自宅に早く帰ることも滅多になかったのですが、たまたまある日、何も用事がなくて早く家に帰ってビールを飲みながらテレビを観ていたのです。すると、炭鉱の危機を救うために常磐ハワイアンセンターができ、炭坑夫だった男たちがヤシの木を育て、炭鉱の娘たちがフラダンスを学んだという実話が紹介されていました。それを知って、これは絶対に映画になると思いました」
石原さんは翌日すぐ、スパリゾート・ハワイアンズを運営する常磐興産に電話をかけ、映画化を申し入れるとともに、当時を知る人たちへの取材を開始しました。
しかし、「映画にしたら絶対に当たる」と確信していた石原さんの想いとは裏腹に、その時、石原さんが所属していた映画会社は、この企画になかなかOKを出しませんでした。
「もともと原作のある作品ではなかったこともあって、作品の面白さが分からないというんですよ。それで、脚本を何度も書き直し、3年かかってやっと成立しました。この作品は私の企画でしたし、絶対にヒットするという確信がありましたから、何としてでも会社にOKを出してもらいたいと粘りましたが、そんな私に取材先の常磐興産の関係者の皆さんもよく付き合ってくれたなと今でも感謝しています」
石原さんの努力の結果、良い本ができたことが後押しして映画化が決定、構想から3年後にようやく制作が始まりました。
石原さんが考えた「フラガール」の宣伝文句は「未来をあきらめない」。
まさに、この映画そのものが、石原さんがあきらめることなく、未来を信じた結果だったのです。