19歳で母親になる
萱島: それは若くしてお子さんを出産したということですか?
坂田: ええ、おっしゃる通りです。名古屋と東京の遠距離恋愛だった頃に妊娠をして、子どもが生まれたことを夫の実家に報告に行ったら、夫とは13歳も年が離れていたこともあり相手の両親は受け入れがたかったんだと思います。
何せその時、私は18歳でしたから。
あまりにも幼い私を見て、夫の親御さんはショックを受けて泣いてしまったわけです。それでお義母さんとはあまり上手く接することができなくなってしまいました。
そこからの同居生活だったので、何も分からない中で自分の妊娠のせいで他の人の人生に影を落としてしまったり誰にも喜ばれないということを想像していなかったので、ストレスと環境の変化が全部肌に出たんでしょうね。
とにかくファンデーションと日焼け止めがかゆくて塗れなくなってしまったんですよ。
日焼け止めは運動部の頃からずっと使っていたものがあったんですが、それを使ったら皮がめくれてしまって、病院に行ったら「一切塗らないでください」っていわれて、20歳の時だったのですごくショックでした。
萱島: それはショックだったでしょうね。同じ女性としてよく分かります。
坂田: 成人式の半年前くらいにお母さんが振袖を借りてくれてやっと地元に帰れると思ったら、ファンデーションは塗れないし日焼け止めも使えないし、化粧品はしみるしで自分に自信をなくしてしまいました。
そういう身体的にも精神的にも弱っている時に、友だちがオーガニックのセラピーを紹介してくれたんですよ。オーガニックなんて聞いたこともないし、セラピーは病んだ人が行くところで私には縁がないみたいに思っていて、エステに行くことすらしたことがなかった私が初めて行ったのが名古屋の自宅サロンだったんです。
坂田: セラピストはファンデーションも日焼け止めも塗っていなくて、ニキビに悩んでいる人でした。でも、自分の肌の責任は自分が取りたいと彼女がおっしゃっていて、「子どもを育てるのと一緒で、自分の肌も自分が受け入れてあげないと何も変わらない」っていってくれて、ああ、そうか、私は勝手に自分の肌の自然回復力を決めつけていたんだなと思いました。
今考えてみると、自分が使っていたもので自分自身を傷つけていたんですよ。
肌をきれいにしようと思って知識がないままに使っていて、最先端の情報に流されていたわけです。
その時20代になったばかりの私は、化粧品が植物からできるということに素直に感動していました。世の中には試験管の中から生まれたわけではないコスメがあるんだと思ったんです。私たち人間よりも長くこの地球上に存在している植物の恩恵に預かっているコスメがあると知った私は、塗るたびに肌も心も喜ぶ感覚を初めて覚えました。私は産後悩んでいたアトピーをオーガニックコスメの力でほぼ改善まで近づけることができ、当時は理由は分かりませんでしたが、オーガニックコスメとの出会いはとにかく感動的だったんです。
萱島: オーガニックコスメが坂田さんご自身の肌も心も救ってくれたんですね。それは大きな出会いでしたね。
坂田: その頃はいろいろな薬物療法も試してみたのですが全然よくならなくて、ちょうど母乳育児の真っ只中だったので、抗生物質とかは飲めなかったんですね。
治す方法はないと思って半分あきらめていたんです。
それが、たまたま名古屋にいた時にある女性と出会って、こういう生き方があるんだ、化粧品そのものというよりもその人の生き様が素敵で、こういう働き方があるんだと思って、そこからすぐに行動を起こしました。
全くの未経験だった美容業界に飛び込んで、2カ月近くまともな給料をもらわずにエステサロンの実務を手伝いながら技術を教えていただいて、そこで初めて人の肌に触れました。
萱島: 感動して、それだけで終わってしまわないで、すぐに動き始めるというところが素晴らしいですね。そのあたりが坂田さんらしさの表れかもしれませんね。
坂田: 私には失うものが何もなかったんですね。
お金もないし時間もない。嫁いでからやることなすこと反対しかされてこなかったので、「行動しなければ何も変わらない」「何とか自分を取り戻さなくては」と思いました。
(第2話に続く)