「半径3メートルの社会貢献」をしたかった
坂田: その頃はとにかく必死だったんですよ。子どももまだ小さかったですし資金も多くはありませんでした。
当時、私がSNSで発信した時に相談に来る女の子たちは「オーガニックコスメ」という選択肢をまだ知らなくて、お金がないので商品をやたらに勧められるのが怖くて百貨店に相談にも行けない、営業されるのが嫌でエステサロンも行けない。だからSNSやブログを見て連絡しましたという人がほとんどでした。
興味はあるのに効果や使い方がよく分からない、買うところがない、相談できない。
それがオーガニックコスメが日本で広まっていかない1番の原因だと思いました。
だから私は、セラピストとして施術をしながら学校を開くようになっていったんですね。
本当に肌に悩んでいる人って、知識とお金がなくて迷子になっている方が多かったんです。そしてドラッグストアに行って安い化粧品を買い溜めて、何の知識もないままにいっぱい使って、コスメに依存していく場合が多いということを実感しました。
肌に悩み続ける女性たちを無条件に助けられる場所にこそ意味があるような気がして、大きな社会貢献ができないのなら、せめて自分に似た人たちを助けるという「半径3メートルの社会貢献」をしたかったわけです。
そう思った時にエステティシャン・セラピストもそうですけど、独立のきっかけを作ってくれたのが前のサロンのオーナーだったり、お客さんでした。
もともと私はあまり手がきれいじゃないんです、指が短くて太くて。
この手がコンプレックスでした。
萱島: お話を伺っていると、坂田さんはたくさんコンプレックスを抱えていらっしゃったんですね、目の前の坂田さんはとても素敵なのでそうは見えませんけど。
坂田: 若い頃はコンプレックスの塊でしたよ(笑)。
私のこの手に自信をくれたのがお客さんでした。
「坂田さんの手は温かくて肉厚で、指も短いのでフェイシャル向き、天職だね」といってくださったんです。たしかに、指と指がぶつからないので指が細くて長い人よりも動きが楽でしたし、ハンドボールをやっていて握力があるので小さな体でも力強い施術ができたんです。
私は普通の会社では本当に役に立ちませんでした。
産後復帰した時にマナーも分かりませんでしたし、パソコンも使えませんでした。英語も漢字も高校止まりなので、やる気はあってもどうにもなりません。するとそれがコンプレックスになって肌に出ちゃうという悪循環でした。
でも、エステの世界だけは自分のことを受け入れてくれたというか、初めて最初から持っているものだけでお客さんが喜んでくれたんです。
そもそも「自分が持っていないもの」を欲しがる意味はないんだな、「ありのままの自分」を磨くしかないんだな」と思うようになりました。
萱島: 良いところはすでに自分の中に持っていたというわけですね。エステティックサロンで働いていた坂田さんが自宅サロンをやろうと思ったきっかけは何だったんですか?
坂田: エステやセラピーの仕事って皆さんが想像する以上に過酷なんですよ。
重労働・低賃金・長時間拘束は当たり前で、480分立ちっ放しで施術し続けるのが普通なんですから。特に私は下っ端だったので、空いた時間にも先輩が使った後の部屋の片づけをしなくてはならなかったりで休む暇すらありませんでした。
それで、働き方に課題を感じて体力的にも精神的にも続けられなくなってきて、お客さんに相談をして私はどうしたらいいかと聞いたら、「自宅でやったらいいんじゃない。まことさんに足りないのはちっぽけな勇気だけだよ」っていってくれた人がいたんです。こういうお客さんとの出会いの中で、自宅でやろうと決めたのが24歳の時でしたね。
(第3話に続く)