歌手の相川七瀬さんが今年、デビュー25周年を迎えた。20代半ばで母となり、3人の子育てに追われながら世間のイメージとのギャップに苦しみ、キャリアの壁にぶつかった。40代を迎えた今、子どもとともに見えている風景とは?
25歳で結婚、そして出産。
20歳。「夢見る少女じゃいられない」でブレイク。明るく前向きなガールズポップス全盛の中、ちょっぴり不良っぽい、夜の雰囲気が似合う相川さんは異彩を放ち、圧倒的な歌唱力と存在感でスターダムを駆け上った。人気絶頂だった2001年、25歳で結婚、そして出産。当時をこう振り返る。
「私が長男を産んだ20年前、子育てするなら仕事はやめるという人が芸能界でも多かった。女性ミュージシャンでお子さんがいながらバリバリ活動していた人はほとんどいませんでした。『それが当たり前』という世の中の風潮に、窮屈さやどこか生きづらさを感じながら、私もこのまま家庭に入ってしまうのかな、って」
そんな諦めの気持ちを抱く一方で、同世代の仲間やミュージシャンのまばゆい活躍に焦りも感じるように。「家の中で子育てしている自分は社会から取り残されてしまったんじゃないか、私のキャリアは止まってしまったんじゃないかと思うようになりました」
30代に入ると、迷いはさらに深くなる。
「ファンの方は私の尖った歌が聞きたいと期待している。20代で歌っていたような、どこか冷めていて、男の子に対しても世の中に対しても強気な女の子が主人公の恋の歌を。そういう歌を書きたいと思う自分もいるんだけど……、目の前には家の中で子どもとほのぼのしている風景が広がっている。普通の主婦だし、いつも革パンを履いているわけでもないし(笑)」
そう言っておどけて見せるが、世間が求める「相川七瀬」のパブリックイメージと、現実の自分とのギャップに苦しんだ。どう乗り越えたのかを問うと、「オンとオフを分けない。そう決めたのです」と答え、こう続けた。
「まだ20代で子どもが一人だったころは、『この扉を開けたらママから歌手になる』なんてカッコつけてた(笑)。でも、子どもが3人になるとカッコつけてなんかいられない。そして、あるときふと思ったのです。家族と毎日ドタバタし、その生活の中に音楽がある。それが私の人生、私のキャリアなのだとしたら、そのスタイルを貫けばいい。そう思えてから、歌っている自分と母親の自分が分離することがなくなりました。楽屋から家がそのまま続いているみたいな(笑)。どこからがプライベートでどこからが仕事かわからなくなった。でも、すごく楽になれた。30代も後半に差し掛かったころのことです」
環境問題が「自分ごと」になったボルネオ島への親子旅
忘れられない旅がある。2010年、小学校3年生だった長男とともにマレーシアのボルネオ島へ。アトピー性皮膚炎だった長男のために、肌へのやさしさに定評のあるサラヤの商品を愛用しており、そのサラヤがボルネオ島の環境保全活動に力を入れていることから実現した旅だった。
オランウータン、象の群れやワニといった野生動物たちの姿など、大自然の素晴らしさを体感することができた。一方で、ボルネオ島が直面する環境破壊の現実も目の当たりに。アブラヤシのプランテーションを拡大するために、動物たちが生きる熱帯雨林が次々と伐採されている光景に衝撃を受けた。
「人間の欲のために生態系が壊され、地球が悲鳴を上げているーー。当時10歳だった息子は詳しいことは理解できなかったと思います。でも大学生になった今、SDGsについて学ぶ中で、有限な資源に人間がどう向かい合っていくかという問題を、彼は他人事ではなく自分ごととして捉えることができている。あの旅のことは今もよく息子と話すのですが、私たち家族にとても大きな経験と気づきを与えてくれました」
このボルネオ旅をきっかけに、3年前には家族でアフリカへ。サバンナの動物たちのたくましい姿に魅せられながら、実は1年半も雨が降っておらず深刻な水不足に陥り、人々は過酷で劣悪な暮らしを強いられていることを知り、水の大切さを痛感した。
「自然がいかにたくさんのものを人間に与えてくれているかを、子どもたちはしっかりと感じていた。私たちが何かを教えなくても、伝えたいことはちゃんと伝わっていた」
相川さんは郊外の畑で野菜を作ってきた経験もある。「遊ぶ施設や道具なんてなくても、カエルを捕まえたり、水たまりで泥まみれになったり、子どもって自分たちで楽しい遊びを考える。想像する力、創造する力を奪わず、育むために、私たち親ができるのは自然に触れさせてあげること。そう思うのです」
さらに、子どもたちを災害ボランティアに参加させることも。「なぜ災害が起きるのか。その理由も、自然と触れていれば地球の環境がすべて繋がっていることが自ずとわかるから」
インターネットが普及した今、世界中の情報に簡単にアクセスすることはできる。大自然の風景を、そこに行った気分で見ることだってできる。しかし、それはバーチャルの体験で、決して「自分ごと」にはならない。
「オンラインが当たり前になった世の中だからこそ、自分の足でその場に行き、見て、聞き、感じる。そうして初めて当事者として考えられるようになると思うのです」
そして、こう語る。
「そのことに気づかせてくれたボルネオ島への旅は、子どもたちはもちろん、その後『大学生』になった私にもかけがえのない経験となったのです」
(後編に続く)
相川七瀬 25th Anniversary Final Party 〜ROCK NEVERLAND〜 開催決定!
2021.11.07(日) 中野サンプラザホール
https://www.nanase.jp
文・中津海麻子
慶応義塾大学法学部政治学科卒。朝日新聞契約ライター、編集プロダクションなどを経てフリーランスに。人物インタビュー、食、ワイン、日本酒、本、音楽、アンチエイジングなどの取材記事を、新聞、雑誌、ウェブマガジンに寄稿。主な媒体は、朝日新聞、朝日新聞デジタル&w、週刊朝日、AERAムック、ワイン王国、JALカード会員誌AGORA、「ethica(エシカ)~私によくて、世界にイイ。~ 」など。大のワンコ好き。
構成・大谷賢太郎
あらゆる業種の大手企業に対するマーケティングやデジタルの相談業務を数多く経験後、2012年12月に『一見さんお断り』をモットーとする、クリエイティブ・エージェンシー「株式会社トランスメディア」を創業。2013年9月に投資育成事業として、webマガジン「ethica(エシカ)」をグランドオープン。2017年1月に業務拡大に伴いデジタル・エージェンシー「株式会社トランスメディア・デジタル」を創業。2018年6月に文化事業・映像事業を目的に3社目となる「株式会社トランスメディア・クリエイターズ」を創業。
創業9期目に入り「BRAND STUDIO」事業を牽引、webマガジン『ethica(エシカ)』の運営ノウハウとアセットを軸に、webマガジンの立ち上げや運営支援など、企業の課題解決を図る統合マーケティングサービスを展開。
提供:サラヤ株式会社
https://www.yashinomi.jp
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