あとから聞くと、彼らは観光客相手にそれを楽しんでいたようです。現地の人からすれば「馬鹿にされるだけだから関わるな」だそうですが、私は決して、ただ彼らが観光客を侮辱するためにあの遊びをやっていたとは思えません。もちろん中指を立てるというやり方に問題はあっても、子供ですからそれを責めるべきではありません。むしろ、私はその背景にあった彼らの気持ちを汲んでやることの方が重要な気がします。
つまり、彼らは外からやってくる新しい人々に興味を持ち、彼らなりの方法でコミュニケーションを取ろうとしているのです。彼らがそのために遊びに誘うのは一種の歓迎の意であって、その方法が何であれ——そこに侮辱のジェスチャーが含まれようと——相手に十分それが伝わるのであれば全く問題はないのです。私は彼らの中指を決して侮辱として受け取ってはいないし、彼らもその気は全くなかったはずです。お互いの間に「歓迎している/されている」という共通認識が成立している点で、私たちは異文化コミュニケーションを成功させたと言えます。
コミュニケーションの形は千差万別ですが、「お互いに同じことを考えている」という状態は共通しています。歓迎にもいろいろな形があり、その一部は自分にとって一見不快かもしれません。それでも相手が伝えようとしていること、そして自分が受け取ることの共通点を見つけられれば、自然と気持ちの良いコミュニケーションが成り立つはずです。「私がどう思うか」以上に「私たちがどう思っているか」を考えることが出来れば、世界はより広がるかもしれませんね。