これまで何度か、ネパールの山間の村にホームステイした話をしていますが、実はその村に到着初日、大規模な歓迎会がありました。大規模と言っても、人口は100人にも満たない小さな村ですから、集会所は学校の教室程度の大きさしかありません。そこで、村長を始め、村の住人から小さな、しかし厚い歓迎を受けたのです。
ちなみに、村には電気が十分に届いておらず、頻繁に停電があります。歓迎会の日も停電が起きていて、ほとんど真っ暗闇の中、ろうそくの火のみで会が進行していきました。暗がりに長いこといれば目も慣れてくるもので、次第にその場にどんな人がいるのかが見えてきます。そこで私がまず気づいたのは、女性たちの衣装です。ほとんど光のない闇の中では目を凝らさないとよく見えないのですが、それは赤や緑を基調とした大きなポンチョのようなもので、どうやら生地を贅沢に使用して編まれているようでした。
「暗闇でも映えるにという、ある種の民族的知恵なのだろうか」と思慮を巡らしているうちに、今度はそれよりも質素な出で立ちの男性たちがぞろぞろとステージに上がっていきます。彼らは何やら大きなものを抱えていて、ステージの奥に整列したかと思うとドカッと床に座ってしまいました。一体何が始まるんだとソワソワする暇もなく、その内の誰かが筒のような物体を勢いよく叩き、あたりに耳抜けの良い太鼓の音が響きます。それに続けとばかりに今度はそれよりも重量のある音が横隔膜を震わせ、軽快なリズムが刻まれていきました。
次には、例の鮮やかな衣装をまとった女性たちがステージに上がり、手を広げ閉じ、腰に手をまわしてくるっと一周し、足元で前後左右にステップを踏み始めます。踊り自体は盆踊り同様に一定の動きを繰り返すもので、そこまで派手な動きもありません。演奏も打楽器だけですから、普通に考えれば、そのステージには極めてモノクロームな空間が形成されていたはずですが、実際には真逆でした。私はなぜかその時、そこに180色の色鉛筆を思い浮かべたし、あるいは他の人は家電量販店の8Kテレビを見たかもしれません。それほど、その空間は鮮やかな彩りを保持していて、その歓迎は実に不思議なものだったのです。
その後私もステージに呼ばれ、見よう見まねで15分ほど踊り続けました。終わった頃には言葉の通じない村人となぜか肩を組んで笑い合っていて、私は知らぬ間に村の一部に迎え入れられたのでした。