心身ともに健康で、社会的にも満たされた状態であることを意味する「well-being」。 一人ひとりがwell-beingであることが、社会や環境をより良くしていくことにつながるのだと 思います。
では、「私にとって良い状態」ってどういうものなんだろう? そのヒントは、意外と何気ない日常の中に散りばめられているのかもしれません。 新しく何かを始めるのも大切だけど、まずは身近な人や自分が「ごきげん」でいることから。 家族と過ごすなかで感じる、そんな一瞬一瞬を切り取って、綴っていけたらと思います。
私だってたまには誰かが作ってくれたごはんを食べたい!
「台所立つの、めっちゃ久しぶりやわ〜」と呟く夫の一言に、振り返ってみれば夫がまともにお料理をするのは、なんと娘の産後数ヶ月以来……!
普段ご飯を炊いたり、洗い物、洗濯干しなどの日常の家事をすることはあるものの、家事全般苦手な(というか、したくないと言う)夫。
基本、私が中心となって家事を担っているのが、わが家のスタイルです。
料理に至っては、私にとっては趣味のような部分もあるので、そのことも夫を台所から遠ざけている一因だとは思いつつ……。
「私だってたまには誰かが作ってくれたごはんを食べたい!」 母の日を口実にさりげなくお願いしてみたところ、しぶしぶ引き受けてくれた夫なのでし た。
娘の姿にちょっぴりジェラシー
そんな夫ですが、趣味の釣りのおかげで、なんと魚はさばけます。
ちょうど前日に、スーパーの特売で買っていた尾頭付きの鯛が冷蔵庫に。
スマホを片手に「うわ、これうまそうやなぁ」「この材料ある?」「調味料、どこに入ってるかわからん!」とかなんとかつぶやきながら、せっせと鯛の塩焼きにマース煮(塩味の煮付け)、サラダ、そしておみそ汁とごはんを作ってくれました。
夫が調理している合間に、私と娘はお風呂に入りおもちゃでひと遊び。
いつもなら「ちょっとまってね」と娘の要求を断ることの多いこの時間帯に、しなくてはいけないことを気にせず娘の相手をできるなんていいなぁ……と、普段と違う過ごし方になんだかそわそわ。
台所のカウンター越しに見え隠れする夫の姿にも、「できたでー」の声で食卓に向かうとごはんが並んでいることにも、いちいち感動する私なのでした。
夫が作ってくれたごはんはとっても美味しくて、このところ「これきらーい」「はっぱのおやさいいらーん」とやや反抗期(?)だった娘も、「めっちゃおいしいなぁ!」とおみそ汁をぐびぐび飲み干し、鯛も全部食べ尽くす勢いでおかわり。
そんな娘の姿にちょっぴりジェラシーも感じつつ、ひっさびさに夫に作ってもらったごはんが、それはもう嬉しくて美味しくて、一口ひとくち幸せを噛みしめた母の日となったのでした。
ただ美味しいだけじゃなくって、こんなにも嬉しくて
料理が好きで、一日中台所に立っていても苦にならない私ですが、娘が生まれてからは次から次へと押し寄せてくる「せねばならないこと」に追われて、時おり「なんで私ばっかりー!」と不満が募ることも。
もちろん、たまには、息抜きも兼ねて家族で外食に行くこともあります。それによって物理的に時間や気持ちの余裕はできますが、あくまで一時的なもの。
根っこの部分をたどると、やってくれないことが不満なのではなくて、私がすることが当たり前になりすぎて全部一人で背負い込んでいるような状態に、なんだか孤独を感じていたの かもしれません。
久しぶりに夫がご飯を作ってくれたごはんを食べながら、自分のために作ってもらうごはんって、ただ美味しいだけじゃなくって、こんなにも嬉しくて心が豊かになるものなんだなぁ、とあらためて感じたのでした。
とまぁ、そんな思いが募ってあまりにも私がニコニコしているものだから、「ごはん作った だけでこんなに喜んでもらえんのか」と夫もまんざらでは(!?)なさそう。
これを機に週に一回、いや月に一度でいいから、料理の楽しさに目覚めてくれないかななん て、期待に胸を膨らます私なのでした。
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季子(キコ)
一児の母親。高校生のころ「食べたもので体はできている」という言葉と出会い食生活を見直したことで、長い付き合いだったアトピーが大きく改善。その体験をきっかけに食を取り巻く問題へと関心が広がり、大学では環境社会学を専攻する。
産後一年間の育休を経て職場復帰。あわただしい日々のなかでも気軽に取り入れられる、私にとっても家族にとっても、地球にとっても無理のない「いい塩梅」な生き方を模索中。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp