新企画「あなたにとってウェルビーイングとは何か」を担当します永島郁哉と申します。早稲田大学大学院で社会学を研究しながら、休日には古着屋に行ったり小説を書いたりします。
この連載は、ストレス社会に生きる私たちが、ふと立ち止まって「豊かさ」について考えるきっかけとなる、ささいな休憩所のようなものです。皆さんと一緒に、当たり前だと思っていた価値観を一つ一つほどいていく作業が出来たらと思います。
新企画「あなたにとってウェルビーイングとは何か」を担当します永島郁哉と申します。早稲田大学大学院で社会学を研究しながら、休日には古着屋に行ったり小説を書いたりします。
この連載は、ストレス社会に生きる私たちが、ふと立ち止まって「豊かさ」について考えるきっかけとなる、ささいな休憩所のようなものです。皆さんと一緒に、当たり前だと思っていた価値観を一つ一つほどいていく作業が出来たらと思います。
これまで続いてきた「アリストテレスとわたし」も今回で最後です。締めとなる今回見ていくのは、『ニコマコス倫理学』の締めの部分、第10巻第9章「徳および幸福を実現するための条件――教育、立法、政治」です。
前提として、この章で彼が述べているのは、「国家」に関することです。したがって、「政治家」とか「法」という単語を使って、やや大きい話をしているのですが、ここにもやはり、私たちが日常生活でのウェルビーイングを考えるきっかけになる言葉が溢れています。
まず、最初にアリストテレスが指摘するのは、「徳は知識ではなく実践である」ということです。これは『ニコマコス倫理学』の中では繰り返し述べられていることですが、彼は改めて、この最終章にて、それを強調しています。
「徳に関しても、知っているだけでは十分でなく、その知識を所有し、用いるように努めなければならないのではないか、あるいはもし他の何らかの仕方でわれわれが善き人になるのであれば、その仕方によってもわれわれは努力しなければならないのではないか。」(朴一功訳2002: 487-8)
アリストテレスがこのように考えるのは、言葉だけで人を善き人に変えるのは難しい、と考えたからでした。むしろ言葉がきちんと届くのは、既に美しい心を持った人、真に快いものを志向できる人だ、とさえ言います。となると、なんだか堂々巡りのような感じがします。善き人になるために善き行動をしろ、と言うのに、善き行動を指し示す言葉を理解するには、善き人でなければならない、と言うわけです。では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
そこでアリストテレスが持ち出すのが、「法」です。
「さまざまな法によって、養育と種々の営みが定められていなければならない。定められたものは実際、慣れれば苦痛ではなくなるであろう。」(朴一功訳2002: 488)
教育という形で、ある程度縛ることで、まず善き行動を取る訓練をしよう、というわけですね。続けてアリストテレスは、「それは大人になってからも必要である」と述べます。
「けれどもおそらく、若い頃に正しい養育と配慮を受けるだけでは十分ではなくて、大人になってからも、定められたことを実行し、かつ習慣化しなければならない以上、こうした点に関してもわれわれは法を必要とするであろうし、また一般に、人生全体に関してもわれわれは法を必要とするのである。」(朴一功訳2002: 488)
この部分の記述からわかることは次の2つです。1つは、「習慣化」の重要性です。徳の実践は、その場限りのものではありません。同様に、ウェルビーイングの実践も、一度きりの実践ではないでしょう。以前、「ウェルビーイングを『努力して実現するもの』と考えることの危うさ」を説明しました。アリストテレスが示唆するのは、徳に基づいた行動を習慣化させること、つまり、努力して意図して善き行動をするのではなく、「自然と」それができるようになることが大事だという点です。ウェルビーイングの実践であっても、それを努力して実現するのではなく、「生きる」という地平で自然と実現していくことが重要なのかもしれません。
また、アリストテレスが法の教育を、「大人にも必要である」と述べているのは大変重要です。「教育」というのは極めて社会的な営みです。そこには子供や若者だけでなく、大人も関わるはずです。この章では何度も繰り返してきましたが、ウェルビーイングとは個人的な達成目標ではありません。社会全体で志向するプロセスのことです。したがって、そこに多様な人々が関わることが重要になってきます。
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』は、私たちの生活をより良くする多くのヒントが隠れています。2000年以上も前に書かれた著作が、今こうして現代を生きる私たちと繋がっていること。そして、私たちの進む道を照らしてくれること。その素晴らしさに私は今一度感動しています。
ウェルビーイングとは、ある意味で実体のない不明瞭なものです。だからときに、私たちは、それが本当に存在するのか疑いたくなります。しかし、アリストテレスの言葉は、私たちが正しい方向へ歩いていることを教えてくれます。彼の言葉には希望があります。読者の皆様が、この連載を期に、自分のウェルビーイング、そして社会のウェルビーイングと向き合ってくれたなら、幸いです。
今回の連載は如何でしたでしょうか。バックナンバーはこちらからご覧頂けます。
永島郁哉
1998年生まれ。早稲田大学で社会学を学ぶ傍ら、国際学生交流活動に携わる。2019年に公益財団法人イオン環境財団主催「アジア学生交流環境フォーラム ASEP2019」に参加し、アジア10カ国の学生と環境問題に取り組んだ他、一般社団法人アジア教育交流研究機構(AAEE)では学生スーパーバイザーを務め、ベトナムやネパールでの国際交流プログラム企画・運営を行っている。2019年9月より6か月間ドイツ・ベルリン大学に留学。
——Backstage from “ethica”——
今回の連載は、読者対話型の連載企画となります。
連載の読者と、執筆者の永島さんがオンラインオフ会(ZOOM)で対話をし、次の連載の話題や企画につなげ、さらにその連載を読んだ方が、オンラインオフ会に参加する。という形で、読者との交流の場に育てていければと思います。
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