夢を追いかけて、いざ北極圏アラスカへ!
4月の終わりに並河萬里の元から独立した松村さんは、その2ヶ月後に星野道夫が暮らすアラスカを目指すことになります。
星野さんに、手紙を書いて、1991年6月末に出国。アンカレッジ空港に降り立ちました。
アンカレッジ空港から市街地までは、10km程度の距離。今みたいに配車サービスのような便利なものはなく、タクシーなどで宿まで行くというのが一般的な移動手段なのだとか。
そんなことも知らず、アラスカの地にふらっと降り立った松村さん。無謀な旅の始まりでした。
「細かいことは覚えていない。ただ、はっきり思い出せるのはアンカレッジ空港に着いた時、異国の地で感じたプラタナスの微かな香り…。不思議なくらい、今も確かな記憶として残っています」
まずはアンカレッジ市街にあるログキャビンのビジターインフォメーションセンターでその日の宿を取り、翌日、12時間ほどアラスカ鉄道に揺られて星野さんが住むフェアバンクスに向いました
フェアバンクスに到着し、道夫さんの手紙に書いてあった住所を訪ねてみると、表札にあったのはHoshinoではなくNishiyama という文字。本人の姿はありませんでした。なんとそこはアラスカ大学教授の西山さんの家。常に旅をしながら写真を撮り続けている星野氏は、友人の西山さんの住所を借りて郵便物を預かってもらっていたのです。
「彼は今朝、カリブーを追って北部に撮影に行ったよ、次はいつ帰ってくるかしらねえ。しょっちゅう取材に行っているから、留守のことが多いのよ。彼が帰ってくるまでここにいたら?」
奥様のお言葉に甘え、西山さん宅をベースに撮影の準備の買い物をして過ごした松村さん。その家にはご夫婦と、松村さんと同年齢くらいの2人の子供たちが暮らしていました。彼らと一緒に郊外のフィールドでブルーベリーを摘んで、それを奥さんがジャムにしてくれたり、ものすごく大きなキングサーモンをステーキにしてくれたりと、アラスカライフを満喫したと言います。
留守の道夫さんの帰宅を待つ間、北米大陸最高峰のマッキンリー山(デナリ)がきれいに見える絶景ポイントを持つデナリ国立公園に撮影に行ってきました。
デナリ国立公園では、野宿を繰り返しながら、朝を迎えました。夜になっても明るい白夜の時期。自然の大きさを感じたと言います。
1週間ほどすると、やっと星野さんが取材から帰ってきて再会を果たします。そこから後はホームステイ先を星野さんの家に移し、アラスカの旅について、相談しました。星野道夫からアドバイスをもらって決めた撮影ポイントは2箇所。