今、落語がブームになっています。雲田はるこさんの漫画「昭和元禄落語心中」が人気となり、アニメ化されたこともその一つの表れかもしれません。
そうした中、次代を担う“男前”な若手落語家たちにも注目が集まっています。彼らの落語会には追っかけのファンが押し寄せ、アイドルのコンサートのようにプレゼントを抱えて「出待ち」する光景が当たり前のように見られるそうです。
現在、二つ目の柳亭市弥さん、32歳も、そんな“男前”な若手落語家の一人。今回は市弥さんにお話を伺いました。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
今、落語がブームになっています。雲田はるこさんの漫画「昭和元禄落語心中」が人気となり、アニメ化されたこともその一つの表れかもしれません。
そうした中、次代を担う“男前”な若手落語家たちにも注目が集まっています。彼らの落語会には追っかけのファンが押し寄せ、アイドルのコンサートのようにプレゼントを抱えて「出待ち」する光景が当たり前のように見られるそうです。
現在、二つ目の柳亭市弥さん、32歳も、そんな“男前”な若手落語家の一人。今回は市弥さんにお話を伺いました。
子供の頃からお笑いに興味があって、コントや漫才が大好きでした。小学生、中学生の時はちょうど漫才ブームで、毎日のようにお笑い番組をやっていて、それを熱心に見ていましたね。友だちと漫才コンビを組んだこともありました。
父親が落語好きで、僕が寝る時、毎晩のように枕元で、面白い話を聞かせてくれたんです。(ひょうきんなとうちゃんだな)と思っていましたが、その頃はまだ落語には興味がありませんでした。だから、それが小噺だということも全く知りませんでしたね。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
両親の勧めで 幼稚園の年中から大学2年までボーイスカウトの活動をやっていました。
正確には5歳~小2をビーバースカウト、小2~5をカブスカウト、小5~中3をボーイスカウト、高校生をベンチャースカウト、18歳~25歳をローバースカウトと年齢によって呼び方が違っているのですが、ローバースカウトまでやる人は珍しくてなかなかいないんですよ。中学校時代、キャンプに行ったりした活動が面白かったのと、その時、とてもいい指導者に巡り合ったことで、大学生になるまで続きました。
ボーイスカウトの活動をやってよかったなと思うのは、行動力や、とっさの判断力が身についたということですかね。「自分に分からないこと、困ったことがあったら取りあえず行動しろ、人に聞け」というのがボーイスカウトの教えでしたから。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
2006年に大学を卒業して会社員になりました。
本当は就職をすることに乗り気ではなかったんです。できれば、お笑いの養成所のようなところに行きたいなあというフワッとした思いがありましたけど、両親がそんなことを許してくれるわけもありませんから、普通にサラリーマンになりました。
入った会社は広告代理店で、入社早々いきなり大阪勤務を命じられて、そこで当時流行り始めていたウェブ広告を担当していました。
でも、やっぱり心のどこかにお笑いの世界に行きたいという気持ちがあって、会社には申し訳ありませんでしたが、仕事の合間にもそういう気持ちがありましたね。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
赴任した時、大阪には友だちも知り合いもいませんでしたし、どこに行けば何があるのかも何も分かりませんでした。
ただ、大阪はお笑いの町ですから、なんばグランド花月とかお笑いのスポットがあちこちにあって、休みの日はヒマなので、そこに行ったりしているうちにちょうど天満天神繁昌亭という寄席があることを知ったんです。
そこでたまたま落語を聞いて感動しました。演芸の世界というのは何と素晴らしいものかと思いました。
その後、休みで東京に戻ると、それまで行ったことのなかった末廣亭など東京の寄席にも通うようになって、そこで師匠である柳亭市馬の高座を初めて見たんですよ。いっぺんで心を奪われましたね。落語家になりたい、いや、なるんだと決心しました。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
落語家の世界にはスカウトや募集はありませんからね。落語家になりたいと思ったら、この人って思った師匠のところに押しかけていって、弟子入りをお願いして認めてもらう。それしかありません。
2007年9月、師匠が大阪に公演に来た時、僕は差し入れを持って楽屋に訪ねていきました。この時はまだ会社は辞めていませんでした。
Photo=Kentaro Ohtani (TRANSMEDIA)
最初は師匠に名前を覚えてもらおうと、ファンを装っていろいろと話しているうちに、
「何だ、お前、弟子入りしたいのか?」
と、師匠にバレてしまいました。
「そんなこと大阪でいわれてもなあ」
と、その時はそれで終わってしまいましたが、それから3カ月して、年末の東京でまた師匠に会いに行きました。
「大阪で……」
「ああ、お前か」
「会社を辞めてきました。弟子にしてください」
「勝手に辞めるな。仕方ない、話くらいは聞いてやる」
そんなやり取りがあって、師匠と食事に行きました。
「何でも好きなものを食え」
という師匠の言葉に甘えて、僕は遠慮なくお腹いっぱい食べました。
すると、それを見ていた師匠が、
「大食いに悪い奴はいない。それで、お前、いつから来れるんだ?」
こうして僕は落語家になりました。(後編につづく…)
プロフィール
1984年、東京都世田谷区生まれ。玉川大学卒業後、1年半のサラリーマンを経て2007年、柳亭市馬に入門。2012年11月、二ツ目に昇進。出囃子は「春どう」。将来を期待されている若手落語家の1人。
・TVアニメ第2期となる「昭和元禄落語心中~助六再び篇~」は2017年1月より放送が決定!
詳しくは、こちらから
http://rakugo-shinju-anime.jp/
・8月15日(月)~20日(土)、一緒に二つ目になった同期の春風亭一蔵兄さん、入船亭小辰さんと一緒に赤坂会館で落語会!
詳しくは、こちらから
https://www.mixyose.jp/akasakaclub/
(C)雲田はるこ・講談社/落語心中協会
新版 三人集 赤坂納涼六夜
ーーBackstage from “ethica”ーー
「落語家になりたいと思ったら、この人って思った師匠のところに押しかけていって、弟子入りをお願いして認めてもらう。それしかありません。」本当にそうなんですね。それだけでかっこいい、と別世界のことのようでドキドキしてしまいます。わたしの周りにも落語好きの若い方は男女問わずちらほら見かけますし、渋谷なんかにある単館系のおしゃれな映画館でも落語のちらしを手にすることができますよね。ブームでもあるかもしれないし、絶えず脈々と愛されてきた大衆エンターテイメントなのでしょうね。柳亭市弥さんが入門してからどうなったのか、後編もどうぞお楽しみに!
ペンネーム:M. M.
記者 清水 一利(しみずかずとし)
1955年千葉県市川市生まれ。明治大学文学部(史学地理学科日本史専攻)を卒業後、1979年、株式会社電通PRセンター(現・株式会社電通パブリックリレーションズ)に入社。クライアント各社のパブリシティ業務、PRイベントの企画・運営などに携わる。1986年、同社退社後、1987年、編集プロダクション・フリークスを主宰。新聞、雑誌(週刊誌・月刊誌)およびPR誌・一般書籍の企画・取材・執筆活動に従事。2012年「フラガール3.11~つながる絆」(講談社)、2013年「SOS!500人を救え~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)を刊行。
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