国家プロジェクトともいうべき、文化庁の京都への移転。2023 年 3 月 27 日の新・文化庁の業務開始を 目前に、経済団体を牽引する京都実業界のトップ達は、京都の実業界や各所属企業と文化の結びつきを どう捉え、文化庁の移転後にどのような展望を抱いているのだろうか。京都実業界を代表する 4 人のキ ーパーソンに ethica 編集長の大谷賢太郎(おおたに・けんたろう)がお話を伺った。
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本記事の位置づけ
伝統文化や技術、自然との調和など、数多くの無形資産がある京都。IT 分野の先駆者であるスティーブ・ジョブズは日本文化に深い関心を持ち、時折京都を訪れていたといわれている(※注)。ジョブズの例に限らず、京都にインスピレーションを受けた経営者や文化人は数多く存在する。京都には「伝統文化、自然や社会との調和」がもたらす「革新的なものづくり」の源泉があるのではないだろうか。そんな仮説をもとに、京都を代表する実業家を訪ねる本企画。今回は京都工業会、京都経済同友会、京都経営者協会、京都商工会議所を代表する4人を訪ね、経済団体としての立場からお話を伺った。
(※注)出典:NHKスティーブ・ジョブズin 京都
村尾修氏「ものづくり文化は企業や実業界と深い結びつきがある」
最初に訪ねたのは、公益社団法人京都工業会の会長であり、株式会社ジーエス・ユアサコーポレーション (以下、GSユアサ)の取締役社長 CEO である村尾修(むらお・おさむ)氏。京都工業会では、会員企業の経営力の向上と地元京都の地域産業の発展のためにさまざまな活動を展開している。村尾氏は、京都の実業界や企業と文化の結びつき、文化庁移転後の展望についてどのように考えているのだろうか。
――京都の実業界と文化の結びつきについて、お考えをお聞かせください。
一般的に「文化」というと芸術や音楽、思想など人間の内面や精神的なものをイメージすると思います。 しかし京都には、人々の暮らしのなかで大切にされて来た「しきたり」や「ものごとの考え方」という精神があり、手工業を通じていわゆる「伝統産業」として引き継がれてきました。私は、これを「ものづくり文化」として捉えています。京都に根付いている文化は、ものづくりや京都の実業界にも大きな影響を与えてきたと考えています。
現在の京都のものづくりを語る上で欠かせない存在が島津源蔵親子で、1875 年(明治 8 年)に島津製作所を創業し発展させた人物です。二人は私たちの暮らしを支えるさまざまな機器を開発・製造して日本の科学技術の基礎を築きました。初代・源蔵は、父に習って鋳物や金工の技術を身につけ、京都の伝統産業のひとつである仏具製造を行っていました。
――島津源蔵親子の話は、とても興味深いです。
源蔵が構えた仏具店のすぐ近くに、科学技術の研究機関「舎密局(せいみきょく)」がつくられました。 これがきっかけで、次々と輸入されてくる西欧の新しい理化学機器に触れることに。そして、日本製の教 育用理化学機器製造に情熱を注ぐようになり、島津製作所を創設しました。
新しい日本を「科学によって盛り立てていく」という源蔵の意思は、2代目の源蔵にも引き継がれました。彼は若くして才能を発揮し、「日本のエジソン」とも呼ばれた発明家です。国内初のエックス線写真 の撮影、鉛蓄電池の開発、易反応性鉛粉製造法の発明などの功績を残しました。蓄電池事業は、日本電池 (現・GSユアサ)、電池を動力にする輸送機製造は日本輸送機(現・三菱ロジスネクスト)、蓄電池の原 料を使った総合塗料メーカー・大日本塗料の設立へとつながっています。
技術者としての源蔵の信念は「学んだことは世のなかのために役立てることが大切」ということ。この信念は、京都のものづくりに携わる人々の根底に脈々と受け継がれています。京都の実業界が文化を下支えしているという気概が、現代に引き継がれていると考えています。
――京都工業会の所属企業である GS ユアサと文化との結びつきについて、どのように感じていますか。
私が代表を務めるGSユアサは2代目島津源蔵の流れを受け継ぐ企業で、「ものづくり文化」と深い結びつきがあります。
1917年に米国より「デトロイト号」と呼ばれた電気自動車が日本に5台輸入され、うち2台を当社の初代社長である2代目源蔵が所有し、ここに日本電池製の蓄電池を積んでいました。電気自動車の1台は通勤用として、社長を退く1946年まで愛用していました。1946年以降は、倉庫に保管されていた2台から状態の良いパーツを取り出して、展示用の1台を製作しました。事務棟玄関ロビーに展示してあり、今でも運転可能な状態です。
――源蔵のものづくりへの精神を現在まで受け継いでいて、とても素晴らしいですね。
ありがとうございます。当社では、2018年に創業100周年を記念した展示場「レガシーホール」を開設 しました。レガシーホールでは、会社のルーツにまつわる部品や昔の製品など約140点を展示しています。主に取引先などに公開し、当社のものづくりの精神と歴史について分かりやすく伝えています。
――文化庁移転後の展望について、お考えをお聞かせください。
2025年開催予定の大阪・関西万博では、文化庁京都移転の効果を発揮する場面が設定されていると思います。今回の取材でお話したようなことが実現にむけて着実に実行されることを期待しています。ものづくり企業も、協力を惜しまず共に栄えていきたいと思います。
村田大介氏「文化を意識することで企業経営の質が改善されるのでは」
次に訪ねたのは、一般社団法人京都経済同友会の代表幹事であり、村田機械株式会社の代表取締役社長である村田大介(むらた・だいすけ)氏。京都経済同友会では、日本経済の健全な発展に寄与すること、また地域経済の振興に貢献することを目的として活動を行っている。村尾氏と同様に、京都の実業界や企業と文化の結びつき、文化庁移転後の展望についてお話を伺った。
――京都の実業界と文化の結びつきについて、お考えをお聞かせください。
京都では、産業経済と文化が互いに支え合っています。千年の都が育んできたセラミックスや印刷、繊維、食品などの技術が進化して新たな産業を形成しています。歴史と文化に根ざした海外への発信力がこうした産業を強化しながら、さらに新たな文化を生み出しています。
このような循環による企業にとっての文化の戦略性は、日本各地で見られるものです。しかし、京都では その戦略性がひときわ強いといえるでしょう。ここに、京都企業が本社を東京に移さない理由があります。最近では海外の優良企業が京都に研究所や拠点を設ける動きがありますが、その背景には京都の文化が関わっています。京都の実業界も、そのことを十分に認識しています。
――京都経済同友会の所属企業と文化との結びつきについて、どのように感じていますか。
文化との結び付きは、企業だけでなく、経営者を含む個人にとっても重要な意味があります。現在、メンバーが個人として参加する経済同友会では「文化と経営の研究委員会」を設けています。各会員が文化を 意識することで、経営の糧(かて)となるものを得る可能性について考えています。
企業のミッションやパーパスの最も基本にある人間の幸福観は、人が幸せに生きる上での文化の存在と密接に関わっています。日常に埋没するなかで、その関わりを自覚する機会は決して多くはありません。しかし、一人ひとりの生活や仕事のなかでの気付きや意識を少しでも高めることで、企業経営の質は改善されると考えています。
――文化庁移転後の展望について、お考えをお聞かせください。
文化庁が京都で政策を考え、京都に関係者を集めて議論を尽くして決定し、それを京都から世界に向けて発信する。こうした一連の仕事をできるだけ可視化して、京都の住民たちに伝えていただきたいです。文化は一人ひとりの生活や仕事のなかに根付くものですが、企業やまちや国にとっては戦略的な意味も持ち合わせています。
これからの日本の文化政策がどうであるべきであるのか。そして、自分たちがそこにどう関わっていくのか。個人として、企業として考えていきたいと思います。
前川氏「行政と実業界、文化関連分野による、さらなる連携が重要」
3番目に訪ねたのは、一般社団法人京都経営者協会の会長であり、日本新薬株式会社の代表取締役会長である前川重信(まえかわ・しげのぶ)氏。京都経営者協会は、日本経済の興隆に寄与するとともに、地域社会の発展、繁栄のための活動を目指す団体である。
――京都の実業界と文化の結びつきについて、お考えをお聞かせください。
京都経済と文化には、密接な関わりがあります。千年の都として栄え、歴史と伝統があり日本文化の中心である京都は、多くの伝統産業が発展してきたまちです。文化は経済活動に多大な影響を与えるとともに、文化そのものが経済活動のひとつになっています。
古くからの伝統産業をはじめ、さまざまな文化財や芸術、映像、音楽などの文化に関連する産業はこれからも成長が期待されています。こうした産業が発展することで、多くの雇用を創出できます。文化の保存・維持と質の高い経済活動を両立していくためには、国や地方公共団体の積極的な支援が非常に重要です。これまで以上に、実業界との密な連携を図っていくことが重要であると考えています。
――京都経営者協会の所属企業と文化との結びつきについて、どのように感じていますか。
歴史的な背景から、京都の企業は文化との関わりが強いのが特徴です。観光や京都の伝統文化に直接関係する企業でなくても、社会貢献活動などを通して、京都文化の保存や維持、普及に積極的に関わっています。
歴史や文化、芸術が独特の風土のなかで受け継がれてきた京都では、いろいろな要素が混ざり合うこと で独特の感覚が生まれました。そして、真似できないような独創的な思考が生み出されることで、ビジネ スが発展してきました。私は、京都にゆかりのあるノーベル賞受賞者が多い理由として、京都独自の土地の力が根底で関わっているのではないかと思っています。
――文化庁移転後の展望について、お考えをお聞かせください。
文化庁の使命は、芸術文化の振興や文化財の保存・活用、国際文化交流の振興です。これからの変化の激しい時代に対応するため、さまざまな施策を立案して迅速に進めていく必要があります。そのためには、文化や芸術、観光、まちづくり、福祉、教育、技術、産業などの関連分野が、より一層連携していくことが重要と考えています。
また、国際社会の中で京都が輝き続けるためには、京都の伝統と文化のものづくり産業が、世界の人々からあこがれの対象であり続けることが必要です。文化庁による新たな文化行政が日本の伝統産業に活力を与えるとともに、京都から世界へ、日本文化の魅力がさらに発信されるようになることを期待してい ます。
塚本氏「伝統と革新こそが京都企業の真骨頂である」
最後に訪ねたのは、2020年4月に京都商工会議所会頭となり、2022年6月にワコールホールディングスの代表取締役を退任し名誉会長となった塚本能交(つかもと・よしかた)氏。京都商工会議所は、京都の商工業の振興と地域社会の発展のためにさまざまな事業を展開する団体である。
――京都の実業界と文化の結びつきについて、お考えをお聞かせください。
京都は、茶道や華道をはじめ、多くの家元や拠点が集積する「文化都市」という側面を持っています。京都商工会議所では、2022年に一般財団法人今日庵と連携・協力協定を結びました。その際に千宗室理事長は「『経済』と『文化』とは、社会というひとつの敷地のなかに立つ2つの建物で、長廊下でつながっているようなもの」と発言されていました。これはその通りだと思います。京都に限らず、多くの経営者が茶道や華道などの多様な文化に親しんでいるように、経済と文化はもともと根底でつながっているものだと思います。
――コロナ禍では経済が疲弊し、厳しい経営環境にある企業も多いです。
こんな時だからこそ、連携・協力協定を通して、茶道の精神である和やかな心や敬い合う心、清らかな心、動じない心を表す「和敬清寂」に立ち返っていただききたいと思っています。会員企業の皆さんが、平常 心を保つ心構えや不確実な時代を生き抜く知恵を、茶道から学び身につけるきっかけになればと願っています。
――京都商工会議所の所属企業と文化との結びつきについて、どのように感じていますか。
伝統的な文化には、それぞれの取り組みを彩る建築、工芸、染織、食品など、さまざまな分野にわたる伝 統産業が不可欠です。京都商工会議所には、伝統産業に携わる多くの企業が加入しています。こうした伝統的なものづくりを手掛ける職人がリスペクトされる風土があるのも、京都の特徴といえます。
京都商工会議所では、京都の伝統工芸や地場産業が持つ優れた素材と技術を活用した、新たな製品開発や国内外の市場開拓を支援するプロジェクトに継続して取り組んでいます。この伝統と革新こそが、消費者に受け入れられる商品を提供し続けてきた、京都企業の真骨頂であるといえるかもしれません。
――清水焼がコンデンサやファインセラミックに活かされている事例もありますね。
そうですね。ほかにも、染物の製造技術からプリント基板、酒づくりからバイオ産業など、京都の伝統産業で培われた技術が先端産業に活かされている事例は数多くあります。京都商工会議所では、2022年11月に3年に1度の役員改選を行い、新たに「文化産業振興委員会」を設置しました。この委員会では、あらゆる業種に所属する約 12,000会員のネットワークを活かし、文化やアートと産業を融合させるための方策を取りまとめ、積極的に発信していきたいと考えています。
――文化庁移転後の展望について、お考えをお聞かせください。
文化庁移転を支援する事業の一環として、最後の文人画家と言われた富岡鉄斎(とみおか・てっさい)の邸宅を改修しています。現在、「文化と産業の交流拠点」として整備を進めています。国内外の関係者を呼び込むきっかけを作ることで、文化庁移転後の我が国の文化の発展に少しでも貢献できればと考えています。
取材を終えて
新・文化庁の業務開始を目前に、京都実業界を代表する 4人のキーパーソンにインタビューする本企画。経済団体のトップとしての立場から、京都の実業界や各所属企業と文化の結びつきに対する考えや文化庁移転後の展望について尋ねた質問に対しては、さまざまなエピソードを交えながら、各者各様の答えが返ってきた。
そのなかで共通していたのは、経済と文化には深いつながりがあるということ。そして。京都の土地柄や独特の文化が、伝統と革新のまち・京都のものづくりを支えているということだ。文化庁移転に際しては、それぞれの立場から文化醸成のための取り組みを進めるとともに、日本文化のさらなる発展に向け て大きな期待を寄せている様子が伺えた。
本日2023年3月27日が業務開始日となる。各団体の動きとともに、京都の文化が今後どのように発展していくのかに大いに注目したい。
聞き手:ethica編集長 大谷賢太郎
あらゆる業種の大手企業に対するマーケティングやデジタルの相談業務を数多く経験後、2012年12月に『一見さんお断り』をモットーとする、クリエイティブ・エージェンシー「株式会社トランスメディア」を創業。2013年7月に投資育成事業として、webマガジン「ethica(エシカ)」を創刊。2017年1月に業務拡大に伴いデジタル・エージェンシー「株式会社トランスメディア・デジタル」を創業。2018年6月に文化事業・映像事業を目的に3社目となる「株式会社トランスメディア・クリエイターズ」を創業。
創業11期目に入り、自社メディア事業で養った「情報力」と「アセット」を強みに「コンテンツ」「デジタル」「PR」を駆使した「BRAND STUDIO」事業を展開するほか、エシカルでサステナブルな世界観、ライフスタイルをリアルに『感動体験』する場を展開。
文:松橋佳奈子
早稲田大学理工学部建築学科卒。企業とNPOにてまちづくりの仕事に携わり、バックパッカーとしても35カ国を訪問・視察し、世界各地の風土と食文化について考察を深める。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)と国際薬膳師の資格を取得。現在は「ethica(エシカ)~私によくて、世界にイイ。~ 」の他、食やエシカル、ソーシャルビジネスについての執筆活動を行っている。
私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp